朝日のようにさわやかに食用美人篇

 障子に、女の影と、殺人者のシルエット。ナイフ、下腹部に刺しこまれる。まだ無音。ナイフ、ひきぬかれ、風のような長い悲鳴と、血を吹き出している女の影。
 鮮血、障子にふりかかる。女、絶命、首垂る。
 障子、典雅に開き、僧形の荒戸源次郎、黙礼して口上。
 「天象儀館の荒戸源次郎でございます。今般、第三作『朝日のようにさわやかに・食用美人篇』を制作いたしました」
 セリフにつれて、画面、右端にクレジット。
 「メガフォンは、前作『愛欲の罠』にひきつづき、大和屋竺…」
 大和屋竺、女の内臓をほうばりながら黙礼。
 「脚本は平岡正明…」
 平岡、ハンケチで口の鮮血をぬぐって礼。
 「美術は…、撮影は…、主演は…」
 と次々と紹介。そのたびに文字のクレジット、あらわれ、人物は答礼。
 その間、人々は犠牲の女を切りきざんでいること。
 「われら、今般、みなみなさまがたを酒池肉林の宴にご案内。あらわれいでまする美女群、バツサ、バツサと料理してごらんにいれまする。まずはごゆるりと、おいしく、ご賞味あれ」
 セリフおわるとともに、一同、悪魔のように高笑い。

『朝日のようにさわやかに・食用美人篇』はこのファーストシーンだけでもすでに十分観るに足るのではないかっ?!
観てえええええええ!!!!!!と叫んでみるが、夏バテかしらん、ここんとこ日記を書く気にまーったくなれずに、あまりにもはてなダイアリーを放置してるので、たまにはと取り敢えずお茶など濁してみる。
天象儀館のプロパガンダ「天命秘帖」から、また、平岡正明上杉清文対談集『どーもすいません』の平岡発言から、物語のおおまかな内容、および、食人方法の具体的ディテールは推測していたが、やってること(言ってること)は基本変わらないとして、それでも6、7年後の本書の方がより洗練されている。何と比べて?いや、『朝日のようにさわやかに・食用美人篇』です。それについては、まあまた気が向いたときにでも。

ちなみに冒頭の『食用美人篇』で荒戸源次郎が「第三作」と口上しているが、天象儀館映画社の第一回作品は言わずと知れた『朝日のようにさわやかに(愛欲の罠)』(脚本:田中陽造/監督:大和屋竺)、第二回作品が『十代の性書 白雪姫』(脚本:上杉清文/監督:秋山ミチヲ)、で、第三回作品が『朝日のようにさわやかに 食用美人篇』(脚本:平岡正明/監督:大和屋竺/主演:山下洋輔)と来る。そして、1973年末に天象儀館映画社の第四回作品は鈴木清順に撮らすと豪語していた荒戸源次郎。それはのちに天象儀館映画社の作品ではなかったが1980年に実現した。また1980年に天象儀館映画社制作で、『不満足』なる映画が大和屋竺監督で撮られる予定だったらしいが、詳しいことはよく知らない。他、荒戸絡みで言えば、詳細な年度は不明だが、制作:荒戸源次郎、プロデューサー:孫邦家と秋山道男、脚本:浦沢義雄、監督:大和屋竺で『朝日のようにさわやかに(仮題)』を撮るつもりだったようだ。創作メモによれば、「一夜にして作り上げられた、原田芳雄石橋蓮司によるデタラメな殺し屋のホラ話」とあるが、必ずしもシナリオの内容とは完全一致していない。殺し屋も出てくるが、シナリオは浦沢義雄によるシュール、不条理、純愛、の突拍子もない世界であった。