ポケットに冥言を〜migimeのジャパニーズ・スラング講座その1・『女番長 玉突き遊び』編

映画、それは名言の宝庫であります。
人はときにそれに感銘を受け、感動し、涙を流すことさえありますが、今日はそのような有名な、表の名言ではなく、いわば裏名言(迷言・冥言)とでも言うべきもの、しかも表のような、少し言うに恥ずかしい大仰なものではなく、日常生活でもごくごく普通に、さらりと活用できるもの、そんなのを紹介して行きたいと思います。


では早速、今日の一本『女番長 玉突き遊び』からピックアップします。
『女番長 玉突き遊び』は関本郁夫監督の実質デビュー作で、叶優子の初主演作でありました。実質と言ったのは、この映画のラストの殴り込み撮影日に、叶優子が右大腿部を複雑骨折する大怪我をし入院、そのため撮影はちょうど一年間中断、その間に関本郁夫は他の映画を撮り、それでデビューするからであります。
このとき入院中の叶優子は、ベッドの中で悔しくて泣いた、麻酔を打たれたときは譫言のように映画のことを言って看護婦さんを驚かせた、自分が寝ている間に他の女優が次々とデビューしていくのを見て焦った、自分の名前はもう完全に忘れられるのではないかと悩みに悩んだ、そんな背景と相俟って、『女番長 玉突き遊び』の中で、まるで胸に迫ってくるかのような叶優子の名台詞が、


”スケバンには昨日もあらへん、明日もあらへん、あるのは今日だけや”


であります。この台詞は、『FLASH EXCITING』2006年6月1日増刊号の中の特集記事「70'sあばずれ映画女優グラフィティ」でも紹介されていたほど有名なもので、かつ女番長(スケバン)シリーズ全七作品においても最も重要度の高い名言でもありました。”スケバンの名言といえば、まずこれ”ってぐらいのものです。


しかし、この超名言、日常生活では正直なかなか使いづらいですよね?
そこで本日我が日記で紹介したいのが、この名言の陰に隠れて埋もれてしまった裏名言、ジャパニーズ・スラングであります。


もちろん同じく『女番長 玉突き遊び』から。
スケバンの衣麻遼子は、ヤクザの菅貫太郎(スガカン)にベタ惚れである。衣麻は叶との喧嘩で、顔に大きな醜い傷を負ってしまったのだ。皆が顔をしかめるその傷、しかしスガカンだけはその傷を含めて衣麻を受け入れてくれた、そんな男意気に衣麻は心底惚れて、もうあんたのためならなんだってするってな具合だ。しかし、本当はスガカンは悪〜い男なんである、自分の出世のために衣麻およびそのスケバングループをただ利用してただけにすぎない。三億のダイヤの原石をめぐる争奪戦、叶の暗躍により、ケツに火がついてきたスガカンは焦っていた、衣麻およびスケバングループにもう利用価値がないとみるや、彼女らをひどいやり方で切り捨てようとする。そんなスガカンの急変した態度を見て、ショック、動揺を隠せない衣麻、”わたしのことを愛していたんじゃないの??”と、一人の女としてスガカンに追いすがる、そんな衣麻を邪険に突き放し、スガカンのあの嫌な目つきで見下し、吐き捨てた台詞が、


”そのセコハン面で、いつまでわいのバシタ気どりや”


レッツ・リピート!衣麻をたった一言で地獄につき落とす痺れるほどのスガカンの冥言!
今はあまり使わない言葉なので、若い人らは単語の意味がよくわからないかも知れないので、老婆心ながら補足すると、「セコハン」とは「セカンドハンド」の省略言葉で「中古品」の意味。
また「バシタ」は香具師の隠語で「女房」のこと。「下場(シタバ)」をひっくり返したもので、セックスのとき下にいるのが女だからと言われている。
まあ、バシタはともかく、


セ コ ハ ン づ ら !!!!(衝撃!)


かつてこんな暴言を男に吐かれた女がいたでしょうか。それにしても、語呂、インパクトともに絶妙です。

ちなみに『女番長 玉突き遊び』を観て以来、日常生活で事あるごとに、こういうのが唯一通じる東映大好きっ子の元バシタにネタとして言うのですが(ただの内輪笑い)、最近ではこの冥言も微妙に”セコハン面”のとこが変化してきて、”そのセコマン面で、いつまでほにゃらら気どりや!”になってます。当然「セコマン面」とは、セカンドハンド+マンコ+面、直訳すると「中古のマンコ顔」、意訳すると「使い古しの陰唇面(ビラビラ顔)」、これにはさすがの元バシタも”ひどすぎるわ!”と言って、今度は逆になにか事あるごとに、”このセコチン面がふざけんな!”とか吐き捨てて来ます。ほんとひどく口汚いわ…。

そんなこんなで第一回migimeのジャパニーズ・スラング講座でしたが、使う相手、使う場所、使う状況など、十分考慮して吐き捨てましょうね。もしも何気なく発したスラングが原因でバシタと別れても、責任は持てませんよ。