百鬼園のクリトリス、あるいは陰核百景

「一億総セックス体操研究時代」なんだそうですよ、今日の我がニッポンは、松窪耕平医学博士の『完全写真図解 結婚と性生活』によりますと。ブックオフで300円だったので買いました。今、このテキストを見ながら、「セックス体操」を覚えている最中です。
それにしても、この博士の言うことは、いちいち大きなお世話ってことのオンパレードです。夫の出世につながるから”セックス管理表”を作れとか、セックス前に”将来を誓いあい、愛を語らえ”とか、その他、図解入りで”女体(まんこ)はこう愛撫しろ”とか、まあいわゆるハウツー本なんですが、当時の夫婦たちはこういうのを真剣に参考にしていたのでしょうか。だって本書は1973(昭和48)年発行ですが、書いてあることは”戦前かよ!”とツッコミたくなるぐらい古臭いんですもの。オモシロすぎる。
しかし、この本、陰茎のことをペニス、勃起のことをエレクトとか横文字で言うくせに、クリトリスのことは頑なに「陰核」という言い方で通します。1973年当時、日本では「クリトリス」という言葉にまだ馴染みがなかったかと言えば、そんなことはたぶん絶対なく、普通に使われていたと思うんですけど、何故か松窪博士は「陰核」にこだわります。


この本の前年1972年に公開された鈴木則文監督の『徳川セックス禁止令 色情大名』では、陰核は「栗鳥の巣の雛鳥」と表現されています。則文監督には、その作品の中に現れる”反キリスト的思想”だとか、”中国の人工的な奇形趣味”だとか、”浮世絵等に精通した獣姦趣味”だとか、毎度なにかにつけて唸らされます。
東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』という本に詳しいですが、則文監督は”どうやったらバカに見えるか、バカな画になるか”にこだわって映画を撮った、とてもキモチがいい傑物です。『徳川セックス禁止令 色情大名』で、杉本美樹に「栗鳥の巣の雛鳥」と連呼させたりするところも、一見バカだなぁと思われるのですが、その裏には(上記にあげたようなことも含めて)則文監督の知的センスが垣間見えて実は素敵です。


「栗鳥の巣の雛鳥」というのはなかなか面白い表現で、「雛尖(ひなさき)」や「鶏舌(けいぜつ)」というクリトリスの別称を想起させもし、示唆にとんでいます。”クリトリス”と”鳥”の関係性を熟知していたとしか思えません(余談ですが、”クリトリス”と”鳥”の関係で言えば、これに澁澤龍彦の『鳥と少女』などを絡めてみたら面白いかも知れません)。ちなみに『徳川セックス禁止令 色情大名』で「雛が巣立つ」と言えば、「イク」ことの意です。


また、鳥とは関係ありませんが、クリトリスに絡んだ少女の性器関係の言葉では、「埋舌(うずみ)」というものがあるのもついでに付け加えておきましょう。これはクリトリスが露出していない少女の性器のことで、日本語はつくづく美しいなと思える表現でもあります。
また女性器を”下の口”と言うように、クリトリスもしばしば”舌”で表現されるのも興味深いところです。



百鬼園(*1)三十三歳の時に刊行された処女短編集『冥途』、『旅順入城式』や『サラサーテの盤』などの、現実と異界の境目にまるで宙吊りにされたかのようなモヤモヤとした不安感に駆られる(しかし、それでいて何故か安心もするような)、正直なんだかよくわからないとしか表現できない、いわゆる百鬼園夢魔的世界にしか触れたことのない僕にとって、『贋作吾輩は猫である』に見られる百鬼園の飄々たるユーモアセンスは初体験であり、驚きであった。本を読んでもめったに笑わぬ僕が、これには笑った。ただ笑ったのではない、大いに笑った、声を出しての大笑いである。猫がする独想や人間観察は言わずもがな、猫の飼い主である五沙彌先生とその周りの人々のやり取りが可笑しすぎる。ボケ・ツッコミ・間・テンポはもう完全に漫才的で、かつ絶妙。百鬼園六十歳の名人芸であろうか。ついでに言えば、百鬼園先生面目躍如の「日常の中の怪異異界譚」をしっかり一編挿んでいるところも心憎いばかりであった。


怨嗟を籠めて、”にやあ”と一声奏す主人公の猫は、一種の化け猫である。読んではいないが夏目漱石の原典では、猫である吾輩は、最後水カメに落ちて成仏するのだそうだ。百輭の猫はその水カメから這い上がり黄泉がえった、安直にいえば霊的な猫であろう。このように劫(きわめて長い年月)を経た猫が妖力を得るというのは、中世の『名月記』や『徒然草』にも記されてるようにお約束であって、現にこの猫はソクラテスの小悪魔ダイモニオンの故事にならい、自ら飼い主である五沙彌先生のネコニオンとなって、五沙彌先生がどこに外出しようと、その側を霊的に片時も離れないのである。これは漱石の時には経験不足で出来なかった芸当だそうだ。

ついでに猫会議のシーンに登場する老猫の飼い主が鍋島であり、この猫が鍋島老と呼ばれていることも記しておく。おそらく、これまた江戸の頃より三百三十年は生き長らえている由緒正しき化け猫であろう。
猫会議は季節によって相談そっちのけで色々なことになるので、雄猫しか出席しない。女盛りの雌猫ならばまだよいが、またたびに酔った雄猫が、その勢いで汚らしい婆猫にいどみかかることもあったのだというから、これを読んでるこちらは想像してたまらない。その婆猫も久しぶりで興奮したのか、いい心持ちになってじゃれ返すというのだから、そのさまはある意味、怪談、つまり化け猫的なような。ちなみに化け猫は自らが食い殺した人間に化けることがあるが、特に老婆に化けるのは彼女らの十八番である。



閑話休題

『贋作吾輩は猫である』を読んで、浅学で恥ずかしい限りだが、初めて「脣」という文字を見た。文字が小さくてわかりづらいかも知れないので老婆心ながら分解すると、「辰」の下に「月」で「くちびる」、「唇」の旧字だそうである。


「目を細めて太陽を見ると太陽のペニスが見へ、私が頭を左右にふると太陽のペニスもゆれて、それが風の原因となる」


この一文は丸尾末広『僕の少年時代』からの引用であるが、元は自分を「神」だと思い込んでいたある分裂病者が、心理学者のC・G・ユングに語ったところの妄想(*2)である。例えば、これと同じような文句はローマ帝政末期の古代ミトラ教の儀典書(*3)にもあり、さらに付け加えるならば、古代中国の奇書『山海経』に現れた「燭陰(しょくいん)」なる人頭蛇身の怪物も、この「太陽のペニス」という観念を暗示させるもののように思われる。つまり、この怪物が目を閉じると世界は闇に包まれ、目を開けると世界は明るくなるのだという。そして、息をすると「強風暴雨」が起こるから、何も喰わず、眠りもせず、息もしないでじっとしているというのである。京極夏彦は『塗仏の宴』の中で、この燭陰は紛うことなく「太陽神」なのだと断言しているが、もっと言えば「蛇」は当然「ペニス」の象徴であることも指摘しておこう。


また、アポロンが太陽神、アルテミスが月神であったように、ヨーロッパでは一般的に、太陽は男、月は女であった(場所によってこれは逆転する場合もあるが)。つまり言い換えると、太陽がペニスならば、月はクリトリスということである。


「上の唇」や「下の唇」という言い方があるように、唇と言えば「口唇」と「陰唇」の意味がある。以上のことを踏まえて、改めて「脣」の文字を見てみると非常に面白くはないだろうか。つまり、旧字である「脣」とは直接的に「陰唇」を指す文字であり、「月」の形を見てもわかる通り、そのクリトリスは見事に直立し勃起しているのである


しかも「脣」は旧字であって、「唇」よりも古いというのがポイントであろう。陰唇に口唇が似ていたから「上の唇」と呼ばれたのだ。そういう意味で、フレデリック・ランザック『プッシー・トーク』や、武智鉄二『華魁』は正しい。


女性器のことを一般に「前門」と称するが、他にも「汚門戸」という呼び名もある。これは女性器の蔑称で読み方は「おまんこ」、江戸時代に生まれた言葉であるが、それはさておき、両側に開く「門」(*4)は、まさに陰唇そのものである。ならば試しに、この陰唇の近くに位置するクリトリスを刺激して勃起させてみたらどうだろうか。つまり「門」に「月」を加えてみたらどうなるかということだ。


百輭、なんとも怖ろしいような名前である。



追記−
『セックスハンター 濡れた標的』の「鳥居」の象徴性をも想起する。



(*1) 「百鬼園」は内田百輭の別号。ネットで検索すると世の中には百鬼園ファンが多いみたいだが、中には『「輭」の字が出ないので「聞」の字で代用します』などと書かれているものもあって、俄読者の僕が言うのも何だが全く情けなくなってしまった。それでは「ひゃっけん」ではなくて「ひゃくぶん」である。思わず、一見に如かずとでも続けたくなる。「輭」の文字がうまく表示されない場合もあるだろうから老婆心ながら説明すると「門」の中に「月」である。これは「間」の正字であり、「閑」とイコールの場合もある。「閑」の場合だと読み方が「げん」になってしまうが、戦後になって「百間」から「百輭」に改名したのは、筆名に「閑」の意味も含ませたかったのではなかろうかと、そんな想像をしてみるのは別に僕の勝手だろう。


(*2) 「目を細めて見ると、太陽のペニスが見えるだろう。私が頭を左右に動かすと、それも同じように動くんだよ。そしてそれが風の原因なんだ」(C・G・ユング「元型論」)


(*3)「太陽には垂れ下がったしっぽ(筒)があり、それが西に傾くと東風が吹き、東に傾くと西風が吹く」ミトラ教はローマ帝政末期に帝国全土を席巻したペルシア起源の古代密儀宗教。「太陽崇拝」が特徴で、暗い洞窟の中で牡牛を殺すという黒魔術的な儀式も行った。


(*4)いわゆる観音開き。おまんこを「観音様」と呼んでありがたがる向きもある。余談だが、あの地帯には仏様もいる。「ほと」とは「陰」と書きあそこのこと、つまり、陰(ほと)の毛(け)で「仏」。ほとけは弾よけのお守りとして重宝がられた(うろ覚えだが、神代辰巳『四畳半襖の裏張り』にそんなシーンなかったっけ?粟津號で?)。タイトルは失念したが、天野哲夫はその著作の中で「クリトリス」の語源は「キリスト」にあると説いていた記憶がある。なんだかあの地帯はえらいことになっている。どーでもいいが、以前、秋葉原の大人のおもちゃ屋で、亀頭の部分がキリストの顔になってるバイブを見つけたときは感動した。



(前略)
エロの師匠SM嬢と秋葉原で待ち合わせ。遅刻したらハイヒールで蹴られるので大変だ。どす。migimeは慣れない総武線に乗った。待ち合わせの時間より随分早く着いてしまった。結局遅刻してきたのはSM嬢の方であった。クソ、一体どんなお仕置きしてやろうか、ぺちぺち、ピシー!と妄想たくましくしてみるが、実際顔を合わせるとそんなことは言い出せず、いえ、全然待ってないでありまーす、はい!migimeと秋葉原はとてもよくマッチする、ように思う、南青山なんかよりもよっぽど。オタクになりたい、オタクになりたい。でも秋葉原には全く詳しくない。migimeは歩かない。なので街を知らない。しかし心配はいらない。すでにテレ東のアド街っく天国で秋葉原情報は仕入れている。もちろん行ったことがないメイドカフェに決まっている。お帰りなさいませ、ご主人様。行ってらっしゃいませ、ご主人様。素晴らしい、キミは天才だよ、ムスカくん!migimeはいろいろなご奉仕サービスに期待をふくらませた。むふふ。だがSM嬢と落ち合って最初に連れて行かれたのは、そんな子供っぽい妄想を裏切る大人のコンビニであった。つまりエッチなグッズでいっぱいのエロビル(注意点、六本木にあるビルではないぞ!)。タモリ倶楽部でも紹介されてた大人のおもちゃ屋。テレビで紹介されていた下に潜って黄金や神酒を顔に受けることができる透明便器も売っていた。これまたみうらじゅんが嬉しそうだった手コキくんだったかな?電動で手がスコスコ動くハイテク自動手淫マシンも売っていた。欲しいけれど、持ち合わせがないmigime、あえなく断念。精巧(性交)にできた小学生ぐらいのダッチドールを発見。ピグマリオニズムを目の当たりにしたこのショック。しかしこの道の大家、画家のオスカール・ココシュカに言わせれば、こんなものは「女ではなくて、怪物」であろう。そして壁一面に貼られた女性客のコスプレ写真、おっぱい写真。ポラロイド写真を撮らせれば商品が30%オフになるのだそうだ。金に目がくらんだのか、単なるメス豚の露出趣味か、嗚呼、大和撫子はどこに行った?こんなものケンペーくんが見たら92式重機関銃で皆殺しだぞ。と、migimeは密かに思って我が国を憂う、ような愛国心などは別段持ち合わせてはいない。が、大胆なポーズで裸体を晒しているメス豚の、あのふてぶてしい体型と顔つきだけはどうにかして欲しい。どれだけふてぶてしいか、今度また行って証拠写真を隠し撮りしてアップすることをここに誓う(ウソ)。SM嬢は何をしてるのかと辺りを見やれば、コスプレ衣装、ボンテージ下着、拘束具、首輪に御執心のようだ。シャレにならん。よく見てみると、周りのサラリーマンのおやじたちもとっても熱心にスケスケ下着やアナルパールを物色している。そんなに一生懸命選んで、一体誰にあげるというのか?おそらくいい年をしているだろうまさか奥さんではあるまい。migimeはこういう世の中の不思議にはついていけない。migimeはこの現実から逃げるように人工オマンコの中に指を入れてみる。ぷるぷるしている。SM嬢は中にヒダヒダがあるというのだが、入り口がとても狭い、migimeはそれを確認できない。いつまでたってもツッコミが甘い童の貞である。migimeは麻縄と緊縛マニュアルに夢中だった。蔵書は『広辞苑』と『少女椿』の二冊だけとmigimeは決めているので本は買わず、立ち読みだけで縛りの基本から応用までその全てを頭に叩きこむ。結び目の作り方、亀甲縛り、後手縛り、菱縄縛り、胡坐縛り。わかる、わかるぞー、人がまるでゴミのようだ!migimeは伊藤晴雨を激しく尊敬した。これでロマンポルノの見方も少し変わるかも知れない。migimeの隣ではSM嬢がぶっとい血蝋燭を熱心に見つめている。瞳孔が開き気味だ。かすかに笑っている。いちおう蝋燭の説明書きには「低温」とあるが、シャレにならん、本当に。その場をそそくさと逃げ出してバイブ・ローター類を物色する。凄まじい種類に腰を抜かすmigime。エロは爆発だ!岡本先生、日本は大変なことになっていますよ!ジャニーズの○ッキー&○バサのチンコとか売っている。栗山千明もビックリのごんぶとチンコや、フィストファック用の手首とかも売っている。しかし女性に一番売れているのはノーマルな大きさのバイブのようだ。売れ筋ランキングに書いてあるのだから間違いあるまい。だが、migimeが一番気に入ったバイブレーションンンンは、亀頭の部分がキリストの顔になってるやつだああああ。おお!聖獣学園!キリスト像に大放尿する渡辺やよい!そんな鈴木則文の世界を彷彿とさせる反権力思想のバイブル、じゃなくて踏み絵的バイブ!これはただのエログッズにとどまらないことをすぐに察知したmigime。携帯でパシャリの隙をうかがうが、挙動不審なmigimeに対する店員の目は明らかに厳しい。まあいい。と、migimeは余裕をかます。そのうち買って、ゆっくり写真を撮ってやろう。そして三原葉子のような修道女に使ってやろうと密かにほくそ笑む。他にもローションや媚薬、コンドームやペニスリングの類を一通り見、エロビルを出た頃にはもう外は暗くなっていた。migimeは精も根も尽き果てた。この時メイドカフェのことはすっかり頭から消えていた。つまりは結局行かなかったわけである。migimeはそれに気づいたとき、絶望のあまり道路の真ん中に膝からへたれこんだ。がっくし。
(後略)