『青春トルコ日記 処女すべり』極私的メモ

[1] 何度観ても歌のクレジットがうまく追えない。動体視力に関係あるのだろうか、いやないか。それはともかくタイトルバックで流れる要約するとトルコにおいでという歌は荒木ミミだし、泡踊りシーンで流れる「あれ」と「女に生まれて」は佐川満男(後者は中村泰士とのダブルボーカル)、開巻の山川レイカの転落(とは言いたくないが便宜上)説明歌と荒木ミミ・佐藤蛾次郎・前野霜一郎のテーマ曲(♪俺たちゃいったいどこに行けばいい〜)、唄は「神田佳明」と読めたのだが、今ネットで調べてみてもさっぱりヒットしない。読み違えたのか、それとも無名の歌手なのか、どっちでしょ?『怪猫トルコ風呂』の怪談らしからぬカッチョいいジャズロックと抱き合わせで「東映トルコサントラCD」出して欲しい。


[2] タイトルバックでヒロインの説明的猥歌を流した例では1972年の『情炎お七恋唄』(小原宏裕)を思い出すが、1973年制作の『青春トルコ日記 処女すべり』はそれよりもさらに進化(?)を見せ、開巻直後明るく軽快なフォーク調の音楽が流れ出し、60〜70年代当時の時事情勢をスチールで重ねながら、ヒロインがトルコ嬢になったまでの経緯を回想的に歌で説明しながら進行させていくこの導入はユニークかつ秀逸。例えば、”♪今を去ること七年前〜”の歌い出しから始まるこの歌は、山川レイカ集団就職のため東北の貧乏村を捨てて、京浜川崎の電池工場に流れ着き、安い賃金で汗水たらして働いたことを説明する。するとここで突如物悲しい曲調に変わり、”♪花は十七の宵、名もない男に散らされたーああーああー”と工場の労働者に輪姦されて処女を奪われたことが歌われる。するとまた元の軽快な曲調に戻り、工場よりもキャバレー、キャバレーよりもトルコの方が稼げるから転職した経緯が歌われ、ここでようやくタイトル、荒木ミミが歌うトルコとヒモの歌にスイッチされるのだ。どうでもいいが個人的に荒木が歌う”♪人は誰でも寂しいものだよ 抱いたあんたも抱かれたあたしも タバコおくれよ泣けちゃいそうさ”のフレーズが特に感慨深い。


[3] 集団就職のため仮に中学卒業後15〜16歳のときに上京したとすると、山川レイカトルコ嬢になったのは22〜23歳という設定になる。実年齢16歳という先入観からかひどく違和感を覚えた。後にトルコの同僚であった小林千枝に赤ん坊(物凄くいい顔!)ができてることや、「密林」→「蛸壺城」のトルコを経営して軌道に乗せていることなど考えると、これは数年に渡る成り上がり物語で、特に小松方正と騙し契約した直後の高月忠との車での会話など、”若いうちにガバッチョ稼がなければ”を繰り返す山川レイカは自分がもうそんなに若くもないことをわかっているような神妙さで(岡田奈津子には売り上げNO.1の座を奪われるし)、いままで顧みもしなかった田舎のことを話したり、いままでは金を取っていたのに高月に明るくケツをまくってタダでやらせてあげたりで、妙にしみじみさせられた。ビルの屋上で荒木ミミに向かってタイのチェンマイに行って一緒にトルコをやろうと誘うところなども本作屈指の名シーンなのではなかろうか。一方、年月的なことでいえば、殿山泰司の娘・岡田奈津子の復讐への執念も相当なもので、復讐のためなら破瓜されることも厭わないのが凄いし、センチメンタルな感情に浸らずひたすら復讐に向けて驀進する妄執系である。


[4] 主演級の三人、山川レイカ、荒木ミミ、岡田奈津子の全員が”名もない男”に破瓜されている。岡田の場合は復讐のために潜り込んだ山川のトルコ店で”うちで働くためのルールだ”と佐藤蛾次郎に覆い被されてやられてしまう。蛤がパカっと開くとそこに血が滲んでいるカットは破瓜表現のお約束。荒木の場合は金持ちのボンボンたちに酒を飲まされ輪姦・犬姦されてしまう。こちらは血が滲むどころではない、白地にドバっと血をぶちまけるカット。山川の場合は”♪花は十七の宵、名もない男に散らされた”と歌が流れる中で工場の男どもに輪姦される。山川を追いかける男の主観ショット、天を仰ぎ見るカメラは山川の主観ショット、輪姦されながらも画面には藻掻きながら赤い蝦蟇口をぎゅっと握りしめる山川の手のカットが挿入され、これは以後の山川の銭ゲバ主義を暗示させるものであり、蝦蟇口の赤はやはり破瓜の血の色であろう。にしても輪姦(犬含む)されたショックで記憶喪失になったとはいえ、そんなことがあったら荒木は無意識的にセックス恐怖症になりそうなものだけど、まあこれは山川にも岡田にも言えることだけど、全員セックスに対する恐怖心が微塵もなく、レイプされちゃってる割にはみんなとにかくあっけらかんと明るいのがいい、同脚本家『喜劇 特出しヒモ天国』的な女の逞しさを感じる。


[5] 犬姦された女優といえば真っ先に谷ナオミを思い出すが、それはともかく本作では荒木ミミ。犬にバックからやられるときの荒木の苦痛は処女膜が破けたようなアイリスによって幾度か表現される。他にもこの荒木ミミの記憶を辿るシークエンスは、道路に捨てられたところから車が屋敷に入るところまでを逆回しで撮られていたり、野田幸男のテクニックを堪能できるのだが、僕などはそんなものよりも単純に散弾銃で酒瓶が粉々に飛び散ったり、無駄にでっかいガソリンスタンド大爆発とか、怪我人さえ出した無茶なカーチェイス(『ヘアピン・サーカス』のそれがカーセックスならば(*1)、さしずめこちらはカーキャットファイト)等に野田的なものを感じて好ましい。テクニックと呼べるかどうかはわからないが、特に荒木ミミ・佐藤蛾次郎・前野霜一郎の青春っぽいハシャギシーンに顕著だが、天地がひっくり返ったり、横にぐいんぐいん揺れたり、とにかくカメラがよく回る。トルコシーンではガラスの下(ガラスのすべり台なども)からレズや集団泡踊りを扇情的にときに回転を交えながら撮り、一方トイレやトルコ部屋のセットは真上から俯瞰で撮ったり。金を奪われそうになったときの山川レイカの精神状態はそのまま横長に伸びた歪んだ画面で表現され、その歪みのままカーチェイスまで持って行く。とにかくいろいろやっていた野田幸男であるが、やることなすこと全てがギミックにしか見えず、凄いはずなのに全然凄く見えないところが凄い(変な日本語)、野田マジック。


[6] トルコの上客、中小企業の社長である殿山泰司は山川レイカに500万を騙し取られ、会社の資金繰りがうまく行かなくなり首を括って死んでしまう。その現場を目撃した娘の岡田奈津子は山川への復讐を誓い、警察を辞めトルコ嬢として潜入するのだが、その妄執の岡田が山川を陥れるためにとった権謀術数、1.山川の車のタイヤに細工をし事故死させようとする(しかし山川は無事、おしっこをかけてホイール熱を冷ます。悔しがる岡田はコンパクトの鏡を拳骨で割る)。2.山川の後ろからハサミを突きつける。3.山川の腹心である高月忠を体を使って寝返らせる。スパイ活動。4.ヤクザの花田達に1000万円で山川を殺すことを打診する。5.警察にチンコロし、山川を売春防止法違反で逮捕させる。6.ヤクザと結託して山川の金を奪おうとする。そのため山川はヤクザに散弾銃を発砲、女二人のカーチェイスへと発展する(結果、山川は全身打撲の上おまんこが使い物にならないぐらい壊れ、岡田は婦警時代の本能か狂って交通整理を始め出す)。


[7]  山川レイカがトルコの女王として成り上がる物語、岡田奈津子の復讐劇と並行する形で進行するのが荒木ミミ・佐藤蛾次郎・前野霜一郎による記憶喪失(半白痴)になった荒木の身元探し。山川×岡田の対立が大きな軸ならば、また荒木らによる青春フーテン物語も本作を傑作たらしめる重要な軸である。彼らの青春のハシャギっぷりは終始へんてこなテンションで、『恋人たちは濡れた』(1973/神代辰巳)を思わず想起させた馬跳びや、逆立ち、側転といった運動をことあるごとに反復するのが面白い。またヒッピー・コミューンならぬフーテン共同体を形成する彼らはフリーセックスなどに耽るが、そこには『曼荼羅』(1971/実相寺昭雄)のように思想的なものは何もなく、さすが東映、さすが野田幸男と言いたくなる、そうだこの映画のあっけらかんとした底抜けの明るさはつまりここにあるのだ。出てくる登場人物はみんな男女の関係に対しての独占欲が一切なく、惚れたの腫れたのといったぶにょぶにょした湿っぽいメロドラマ、男女の恋愛における悲喜交々な心情がまったくもって絶無なのだ。[ミミ=蛾次郎=霜一郎]の例は言うまでもなく、[山川=高月]の場合にしても「下北からの集団就職」をキーワードにした共同体的な関係で、彼らは性と愛に関して所有概念というものがことごとく欠落している。男女のセックスを扱っていながら、恋愛(気持ち)の針がピクリとさえ振れないのだ。そこが実に小気味好く、すがすがしい。女一人と男二人の共同体的(性)関係といって思い出される『マル秘ハネムーン暴行列車』(1977/長谷部安春)以上の恋愛的機微の無さ。運命共同体的映画「不良番長」シリーズなどを観てみても、野田幸男の興味がそういうところにないことは察せられる。


[8] 元過激派女子高生山川レイカの降板した『竜馬暗殺』(1974/黒木和雄)が当時頻発した学生たちの内ゲバを暗に描いたものならば、開巻その手のスチールも映し出される『青春トルコ日記 処女すべり』(1973制作)における岡田奈津子は例えるならば[山川=高月]という下北系セクトに潜入した公安警察のスパイのようなものだ。学生運動全盛期には公安警察は各セクトを内部分裂および自滅させるため情報操作を行ったり、警察官をスパイとしてセクトに潜入させたりしたらしいが、そういう意味で自分の肉体をエサに腹心の高月を手なずける等の岡田のやり方は公安のそれに等しく(公安ではないが岡田の前職が警察官なのは暗示的)、高月の裏切りは内ゲバに等しい。実際、劇中で岡田は山川の店の裏帳簿をカメラで撮影したりスパイ活動をするのだが、しかしそこで得た情報は山川陥れのために何ら使われず、結局岡田はもっと短絡的にカーチェイスで山川をぶっ殺そうとするので、この意味ないスパイ描写には今の社会情勢をとりあえず入れとけ的な野田の軽薄なノリが感じられる(でも考えてみれば、税務署が追徴課税金を取り立てに来るから、画面には映らなかったが知らないうちに岡田はスパイした情報をリークしていたのか)。


[9] 佐藤蛾次郎を刺し殺した(下からあおり、血吹き出す、かあちゃーん)ボンボンらの供述から荒木ミミの身元が判明、小林稔侍刑事に連れられてミミと前野霜一郎は行くのだが…、そこは金持ちのお屋敷などではなく貧民窟。ここでミミの記憶が甦りそうになるのだが、それを現実とは認めず、あっかんべーをかまして兄弟たちからも逃げ出すミミがよい。霜一郎は霜一郎でミミの昔の写真を見せられても、”ほんまよく似てるなぁ”とか、警察に向かって”でたらめばかりぬかしやがって”とミミを金持ち娘と信じて疑わない。そんな彼らは山川レイカの事故を決起として(ママ死なないでと泣いたあと、ケロっとして金を持っていくミミ) 、弟たちも貧民窟の家を捨て、ダンプカーに乗ってあてどもないミミの身元探し、”本物の家探し”の旅に出るのだ。ここでエンド。と、この直前に男ならば誰しも思う霜一郎の叫び「インポになりとうないんや」のスーパーがでかでかと!万年勃起症のような男を演じた前野霜一郎、本作は彼の代表作だと断言(マニア垂涎、霜一郎の裸エプロン姿も!)。ポルノ映画における性交時の局部を隠すためのテクニック、ラストのミミと霜一郎のそれは野に咲く可愛らしい草花で隠された。なんと牧歌的なことか。またその最中、金に執着する大人たちを嘲笑うかのように子供たちがふわふわと飛ばす万札の紙飛行機も痛快。


[10] 青春トルコ日記の初日、とある女性に”山川レイカの手首にリストカットの痕があった”と言われて吃驚した。16歳にして過激派のセクトを渡り歩き、またその歳でアル中になってたような山川だから(http://d.hatena.ne.jp/migime/20080821)、リストカットぐらいでは全く驚かないけれど、その傷痕に気がついたその人の目に驚いたのだ。金曜日、それを気にしながら観ていたら、なるほどなるほど冷蔵庫にお金をしまうシーン、殿山泰司とヤリながら電話をするシーン、ホスト二人にご奉仕されるシーンと、確かに左手首に一スジまんまの傷痕があった。この子は躁鬱の差が激しそうだね。