尼僧衣と機関銃〜『無人列島』

無人列島』はこれぞ60年代末期を代表するアングラといった感じで、この手の雰囲気が好きな者にはたまらない映画であろう。
主人公の名前「日出国」が「日出ずる国」「天皇が絶対的権力を有していたときの日本」の暗喩であることに気づけば、(当時の社会情勢をよく知らないので細かい部分まではともかく)物語のおおすじを追うことは簡単。開巻、雪原を駐在さんに引っ張ってこられる日出国は、怪我をしていてボロボロ、”赤い光が西の国に飛んだとき、南の国に飛んだとき、この国は夏だったというのに雪の下敷き”だと言って神様が自分を裏切ったことにぶつぶつと悪態をついている。ここでの「赤い光」は広島と長崎に落とされた「原爆」、日出国は「敗戦した大日本帝国」で、日出国を異端審問する尼僧らは「GHQ」および「民主主義」の暗喩。尼僧の一人においては”日出国に鞭を与えるのは大変危険なことだ”とご丁寧にも進言するが(国民の暴動を恐れ天皇の戦争責任を不問にしたGHQの事情を想起する)、結局日出国は尼僧に鞭を打たれながら螺旋階段をのぼっていく。その頂上で尼僧は日出国の頭をおまんこの中に入れ、日出国はその産道(*1)を通ったあと「天皇制」と「民主主義」が同一体になった「日本」として、大きな瘤が裂けて生まれた赤ん坊と背中合わせでくっついたシャム双生児の形で生まれ変わる。赤ん坊は次第に背中で大きくなっていき少年になったとき「ねずみの嫁入り」の本を読み始めるのが面白い。ねずみの親が強い者に憧れて太陽のところへ娘を嫁にやろうとする昔話だが、太陽よりもそれ隠してしまう雲の方が強いといった調子で、雲よりも風、風よりも壁、壁よりもねずみが強いとなって、結局ねずみはねずみの嫁へ行く。権力者は「ねずみの嫁入り」的に変遷して行くというこの論理に従えば、少年の朗読は結局一番強い権力者は”廻りまわって”日出国(絶対天皇制下の日本)おまえなのだという無邪気な煽動にも聞こえる。疎ましいほどにどんどん成長した青年(民主主義)は日出国(天皇制)に向かって、”なぜ西の空ばかり眺めているのだ”、”新しい太陽を創り出さなければならない。(日出ずる)東を向きたまえ、東を!”と、手を携えて新国家を作ろうと提言するのだが、日出国はブチ切れて青年を刺し殺してしまい、絶対天皇制を復権することになる。例えば、坂本長利が登場するシークエンスで日出国は、”全ては俺が大家なのだ”とか、”大家にとって単純な仕事に疑問を持った奴が一番の敵さ”と言い放って、新聞貼りに疑問を持ち<主体性>を持ち始めようとした坂本の妻をブチ殺すところなどは示唆にとんでいる。ここでの「大家」は「絶対君主国家」と言い換えていい(確かこのシークエンスでは「君が代」が流れたところもあった)。そしてさらに増長した日出国はオフィスビルの間に大きな顔の「太陽」となって君臨したりするのだ!襲ってくる刺客(テロリズム。ハプニング集団・ゼロ次元を用いてるのが暗示的)を次々と倒し、日出国はGHQが民主主義の象徴と位置づけた国会議事堂に向かって日本刀片手に突撃しさえするのだが(撮影して怒られなかったのかな…)、ここで何故か場面が急に転換し場末の劇場、尼僧との斬り合い(戦争)になり日出国は刺し殺されてしまう。そして開巻の尼僧たちが回りながら出てきて、”日出国ちゃんもいいところまで育てあげたのだけど、やっぱり彼、ちょっと跳ね上がりすぎたわよねぇ、フフフ”、”平和が一番、平和がなにより、フフフ”などと微笑しあってジ・エンド。開巻に日出国が引きずられてきた雪原が最後に映し出されるが、そこは荒涼としていてもはや日出国が現れる気配さえ感じられない。無人列島。
などとあらすじめいたことを長々書いてしまったが、こんな解釈は実際意味がなく、結局は金井勝の脳内妄想を視覚化させたシュールリアリスティックな映像を、考えないでただ感じればいい映画のような気がする。螺旋階段を鞭打ち打たれながら上がっていく尼僧と日出国のシーンとか、「セーラー服と機関銃」ならぬ尼僧とマシンガン、金嬉老スタイルの男と撃ち合いするシーンなんか単純にカッチョいいじゃないか!佐藤重臣もホイホイ踊りするよ。ヒエロニムス・ボスもいいねー。
にしても、これを観て”不敬だ!”と言って上映中止を求めたり、妨害したりする連中はたぶんいなかったんだろうなぁ。アングラだし、渡辺文樹のアレ(まだ観てないけど、今月代々木八幡であるらしい。今度こそ大丈夫なのか?)みたいに直接的過ぎないしねぇ。
蛇足だが、奇しくも螺旋階段繋がりでもある『セーラー服と機関銃 完璧版』、服を脱ぎながら螺旋階段を上がっていく風祭ゆきのシーンはロマンポルノ、サイコーだ!


(*1)金井勝『王国』にも産道が出てくる場面がある。ただ『王国』のむささび童子が這い進んだのは人間のヴァギナではなく、あくまで鴨のアナルであって一見「子宮回帰」とは関係ないように見えるけれど、これに限っては肛門直腸も産道なのだ。『王国』は鳥類のドキュメンタリーでもあって、鳥類が重要な位置を占めている、その鳥類はよくよく考えてみれば単孔生物なのだ、交尾も排卵も肛門からなされるのだ。