極私的memo〜『エル・スール』 『皮ジャン反抗族』 「映画監督・大島渚」 「WE ARE THE PINK SCHOOL!」 「土方巽舞踏映像」 『薔薇の葬列』 『王国』

ユーロスペースビクトル・エリセ『エル・スール』を観る。まあ冒頭から最後まで全編、また朝も昼も真夜中だってそうなのだが、窓や扉から部屋に差し込む自然光によってのみ極力作られる何とも言えぬ絶妙な色合い、太陽の運行と共に移り変わって行く表情豊かな陰影、それに伴い変化する構図、そして寒い北の地方の青みがかったような空気感(光)、それらの美しさに触れるたび、自然と漏れるため息をどうすることもできないのと同時に、僕は中学生のときに好きだった女の子のことをふと思い出した。しばらくぶりに逢ったその子は画家になっていて、彼女曰く、蛍光灯の下だと色がわからないから、彼女は決まって朝から昼間にかけて部屋の中が自然光で溢れている時間帯にだけ絵を描くのだと、そんなことをなんとなしに。『エル・スール』は開巻の夜明け前の部屋のシーン(しびれた)からそうだが、「光」の表情を観ているだけでも全く飽きない映画であった。
映画の内容はどうかというと、つまるところ『ミツバチのささやき』のヴァリエ違いと言っていいのではないか。これらについては後日書くとして、とりあえずキーワードのみ、『ミツバチのささやき』でアナの唯一の心の拠り所になったフランケンシュタインの怪物(精霊)は何故父親の顔であったのか、『エル・スール』でエストレリャはまるで宇能鴻一郎かのように語る、少女時代の母親の想い出はほとんどないと、母とは逆に彼女が心酔している(近親相姦の含みさえする)父親は−アナの場合ならばフランケンシュタインの怪物と言ってもいいが−魔術師であり、少女の成長と共に父の魔力は(マッチの火さえ自分で点けられないほど)衰えて行く。精霊や魔法は子供にしか感じられないし、子供が大人になるとき(例えば現実を知ることであったり、恋人ができることであったり)彼らは当然死なねばならない。また父こそ輪廻転生したアナであるとも言えるかも知れない。父の場合の拠り所は『フランケンシュタイン』ではなく『日陰の花』の主演女優イレーネ・リオスであり、交信の末に父は…。同時に父は『ミツバチのささやき』では沈黙していた大人たちの饒舌な代弁者でもある。
エストレリャが母親に「その本面白い?」と聴いたとき、母親は「素敵よ」と答えた。僕も何か聴かれたら今度からこう答えよう。
そして「愛している」と壁に落書きするならば、冒頭は五芒星ではなく六芒星にするべきだ。



いまのところ『生贄の女たち』しか観に行ってないシネマヴェーラで開催中の東映セントラルフィルムの栄光」だが、松田優作の主要な有名作群は放っておいても、長谷部安春&おちんぽたちひろしの『皮ジャン反抗族』だけは絶対行かねばならない。なにを隠そうこの映画が大好きなので、”こんな映画のどこがいーの?”と皆からコケにされても全然気にしない。この映画は血が騒ぐ。一応ビデオ化はされているが(たぶんDVDにはなってない気がする)、スタンダードサイズにトリミングされていて残念な出来、もちろん劇場では本来のワイドサイズでかかるはずなので、これは行った方がいい。だって噴水デスコとか観たいじゃん!ワルノリスト(林ゆたか)になってフィーバーしようぜ!!!!
『皮ジャン反抗族』2/23・25上映@シネマヴェーラ渋谷



次回シネマヴェーラ紀伊国屋書店レーベルを讃える」のチラシを貰う。フィルムだと思ったらDVD上映多し。でもでもでもでも…おちんぽシャブローの『女鹿』 『不貞の女』 『肉屋』観られるだけでいいや!
旅芸人の記録も楽しみ。1920年代のやつは案外観てるな。2/28より。



法政のスコリモフスキってAとかBとかCとかDってタイトルをちゃんと明記してくれないから親切心が足りない。2/20〜22開催。



川崎市市民ミュージアムで開催される「映画監督・大島渚は忘れず行くこと。
2/21…『ごぜ盲目の女旅芸人』 『裸の時代 ポルノ映画・愛のコリーダ
2/22…『伝記 毛沢東』 『ユンボギの日記』
2/28…『忘れられた皇軍』 『ある国鉄乗務員−スト中止前夜−』
3/01…『反骨の砦』 『青春の碑』

及び

「恵比寿映像祭」会期2/20〜3/1。
2/22…大島渚『20世紀アワー:大東亜戦争


大島渚といえば、渋谷の映画ショップで500円で買った『太陽の墓場』の英語版ポスター。まあ炎加世子『夕陽に赤い俺の顔』のヤギを連れた殺し屋がキュートで好きだけど。



渋谷のイメージフォーラムで開催される「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史1965−2008」2/28〜3/20)の注目度が半端じゃないような気がする。Qビルの4階にも3階にもチラシがなくてビビった。受付のお姉さんに言って奥からチラシを出してもらったぐらいだし。
で、全部行くお金もないので、なるべく行かない方向でスケジュルチェックしてるんだが、それでも14回は行きそうな行かなさそうな。
「ピンク創世記1〜6」は6作品すべて観てて、「70年代黄金期7〜12」は6作中3本、「80年代ニューウェーブ13〜22」は10作中3本だけ、それ以降の「四天王と90年代」「ピンク七福神」「大蔵ヌーヴェルバーグ」「ウェルメイド作家たち」にいたっては一本も観たことナシ。とりあえず80年代までの未見作は全部観るつもりだが、これを機会に90年代以降のピンク映画にも手をつけるのもアリなのか。
とりあえずカントクの『特殊三角関係』と、ガイラの『ラビットセックス』、『地獄のローパー』が楽しみだなぁ。
にしてもピンスク、スケジュル表が煩雑すぎて、行く日にちが全然決まらない…。


<ピンスクで上映される大和屋竺映画に触れた過去日記>


『荒野のダッチワイフ』最後に流れる山下洋輔クァルテットが最高!
http://d.hatena.ne.jp/migime/20080810/p1


『濡れ牡丹 五悪人暴行篇』真湖道代のDVDジャケ
http://d.hatena.ne.jp/migime/20070815/p1


『マル秘湯の町 夜のひとで』自作自演ブルフィル活弁監督・吉田純
http://d.hatena.ne.jp/migime/20070906/p1



気づいたら京都の土方巽舞踏フィルム上映会(2/11だったらしい)が終わっていた…。まあ、”そうだ京都に行こう”とはなかなか言えない身分なので、結局現実的ではなかったけれど。資料として上映作品リストをコピペ。
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土方巽記録映像
1.「肉体の叛乱」1968年(14分) 中村宏
2.「疱瘡譚」1972年(4分) 森下隆
3.「疱瘡譚」1972年(30分バージョン) 大内田圭弥
4.「正面の衣裳」1976年(65分)
5.「東北歌舞伎計画」1985年(65分)

◆ドキュメント、劇映画
1.「犠牲」1959年(15分) ドナルド・リチー
2.「風の景色」1976年(冒頭シーン) 大内田圭弥
3.「恐怖奇形人間」1969年(一部) 石井輝男
4.「怪談 昇り竜」1969年(一部) 石井輝男
5.「臍閣下」1970年(一部) 西江孝之

◆舞踏記録映像(DMC 亀村佳宏)
1.「室伏鴻 quick silver」2008年
2.「土の土方と水滴の時間」2008年

◆舞踏譜の舞踏解説映像
1.「土方巽 舞踏譜の舞踏」(日英版)2008年
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超観てえ…。東京でもやらんかなぁ…。ちなみに僕が観たことある土方巽関係の舞踏映像は、『バラ色ダンス』 『あんま』 『ラ・アルヘンチーナ頌』 『疱瘡譚』 『ひとがた』だけ。
『バラ色ダンス』土方巽大野一雄が競演した舞台で、澁澤龍彦が上部に配された横尾忠則によるポスターも有名なやつ。タイトルからもわかるように土方と大野の男色デュエットで、おそらく土方がタチで、大野がネコだと思われる。なのに背中には女性器のペインティング。よくわからないが他にも女性器のイメージ多数。そして彼らはバラはバラでも白いバラ。
『あんま』土方巽大野一雄の競演で、村八分的な大野がダンスを通して、皆に受け入れられて行くストーリー。土方初期の作品で、サイレントってところが初心者にはわかりにくい。音ありの方がわかりやすいかも。
『ラ・アルヘンチーナ頌』土方巽が演出した大野一雄のソロ舞踏。僕も手だけは人にキレイだと誉められるが、それでも大野一雄にはとても勝てない。土方は大野の手を「マルドロールの手」と称したけれど、うんと、すぐに納得。なめらかな流れるような手。大野のダンスはとてもしなやかで優雅。そしてときには磔刑されたキリストのようであり、肋骨と頬骨が浮き上がった生ける骸骨のようでもある。でも結局は妖艶なレディでありガールに落ち着くようだ。
『疱瘡譚』土方巽やら、芦川羊子やら、その他いろいろ出てくる舞踏。なんでも土方の踊りの特徴で斬新だったのは、意図的に肉体を折り曲げ、歪みをもたせたという点らしいが、確かに土方の、ガニ股、短足、それらがなす力強く確かな踏み込み、ねじれ(「世界の舞踏はまず立つところから始まっている。ところがわたくしは立てないところから始めたのである」土方巽)はなにやら呪術的だ。大野一雄が「手」ならば、やはり土方巽は「足」なのだなぁ。嗚呼、京都で『肉体の叛乱』の「三本目の足」観たかった…。
『ひとがた』土方巽振り付けによる芦川羊子(『恐怖奇形人間』の山羊女)のソロ舞踏。



それにしてもピンスクだよ、いっそイメフォの会員になるという暴挙にまで考えが及んだが、あんまり意味ないような気も…。会員になってむりやり松本俊夫でも観てやろうかとも思ったが、もうドグラ・マグラしかやってねえんじゃないの?10年ぐらい前に、髪の毛がおかっぱで、色が蛍光緑のガールとつきあってたときに勧められた『薔薇の葬列』を観るのも半ば強引にセンチメンタリズムを喚起させられて一興ではあったのだが。
「薔薇」が「血」のアナロジーならば、当然「ローズ」は「アナル」の穴ロージー。するとすぐさま「薔薇族」なんていう雑誌を思い出すんだし、”薔薇が咲いた 薔薇が咲いた 真っ赤な薔薇が〜♪”と歌ったマイク真木はいかにも…だし(ド偏見)、薔薇の葬列は男色三角関係、男色近親相姦の話であった。主演は当時16歳とまだまだ初々しいゲイボーイ、ピーター。ぶっちゃけピーターのすっぴんはひどかったが、プリプリしたおしりは可愛らしかった。「我は傷口にして刃 生贄にして刑吏」というボードレール悪の華』の詩句を掲げる『薔薇の葬列』。チラシの詩句の一つ一つがスーパーによって劇中挿入されたかは正直忘れてしまったが、「鏡よ鏡 この世で一番美しいのは誰?」はグリム、「するとあなたは人類を愛しておられませんな」「さよう憎んでいます」はD.A.F.サド、「太陽 切られた首」はギヨーム・アポリネール、「個人の精神は相継ぐ否定によって自己自身の絶対に達する」はルネ・ドーマル、「わが生まれし日 亡び失せよ」は旧約聖書ヨブ記から。「おお薔薇たちの帝国」云々はルネ・シャールあたりが言いそうだと踏んでみるし、ゲイバーの店名はジャン・ジュネか。
『菊の葬列』じゃあ陰気臭い。



 映画は、作家の主体性を超えた超主体的な生き物だ。時には産みの親に噛みつく事も、白刃を振り翳して襲いかかって来る事もある。どんなに作家主体で創ろうとも、他者との間に誤解が生まれ、更に偶然が後押しするのだから、必然的に超主体的な生き物となるのだ。逆に言えば、だからこそ映画は魅力的なのであろう。
 批評における分析法は、その超主体としてせっかく脹らんだ映画の心魂をシボませ縛り付けてしまう。強引に客観化を図ろうとする余り、作品を矮小なものに落とし込んでしまうのだ。
 だがさりとて、映画との出逢い方は複雑であるから、そうそう直感だけを頼りにする訳にもゆかない様だ。


上記が誰の言葉だったか思い出せなかったが、ドグラ・マグラでわかった気がする。たぶん金井勝だ。金井勝は大和屋竺と共に気狂い役で『ドグラ・マグラ』に出演している。
2/21・19時の回・松田洋治トークショーイメージフォーラム



そーいや、なんでも「金井勝DVD-BOX」http://www.hinocatv.ne.jp/~katsu/dvd-the%20world.html)みたいのが出たらしく定価2万円。『王国』の一枚だけ欲しいんだけどなぁ…。