『痴漢地下鉄』と『特殊三角関係』

なんだかめっきり春の陽気ですが皆様如何お過ごしでしょうか。
暖かくなってくると決まって巷には春の珍事と呼ばれるようなことが起こり、女性は薄着になって肌の露出度が増し、それにともない痴漢のモミベーションも上がる一方です。
というわけで昨日はカントクの『痴漢地下鉄』を観て、痴漢のノウハウを学んでみました。


久保新二はマスオさん的サラリーマンで、日々の生活に、人生に、辟易しまくってるわけだが、ふとしたきっかけで観たピンク映画に感銘を受けて、自分も痴漢をすることを思い立つ。地下鉄での初めての痴漢、スリルと刺激、そこで同じ女を一緒に触った堺勝朗と意気投合し、飲んで出歯亀したあと家につれて帰るのだが、嫁のあそこを勝手に堺に貸したことで二人は家を追い出される。二人はホームレスになりながら痴漢や覗きに明け暮れるのだが、持ち金が底をつき、久保が嫁に金の工面のため電話してみると義理の父が昨晩脳溢血で死んだという。そのまま久保は堺の前から失踪、一ヶ月後久保は大きな会社の社長になっていた、義理の父の跡を継いで。もう社長なんてやめてやる!ピンク映画が観たい!痴漢がしたい!自由が欲しい!とごねる久保、それを引き留める秘書らと悶着してるところへ堺が通りかかり、二人は再邂逅を喜び合い、そのまま懐かしの地下鉄へと痴漢をしに走るのであった。


久保や堺はアドリブばかりだし(久保のそれ見て女優が思わず笑ってしまったり)、物語はあってないようなものだし、女優はみんなブスだし、やっつけ感が全編に漂う、くっだらないとしか言えない映画なのだが、それでも個人的には久保と堺のコンビを観てるだけで楽しいし、彼らの痴漢で結ばれたような友情っていいなぁって思う。
夜の公園で出歯亀してるとき、それを見てセンズリを始めだす久保に、”かいたるか?かいたるか?”と言って久保のちんちんをマスカキしてあげる堺、”ごめんね、真鍋くん(堺の役名)”と言ってその好意に甘える久保のやりとりがひどく可笑しくて、そして久保のちんちんが物凄ーーーーくデカいことで、覗かれていた男女が今度は久保と堺のセンズリを覗くという逆転が起こるのも面白い。


日活だったら吊革などの小道具を配した電車内のセットを作り、そこで痴漢シーンを撮るところだが、そこは予算の少ないピンク映画、電車内での痴漢シーンは久保・堺・痴漢される女のバストショットと股間のアップだけで処理し(引きの画がないので人物以外は何も映りこまない)、そこにアナウンスや雑踏や電車の走る音をかぶせて、それらしく見せている。


カントクの映画は全編さまざまなジャンルの音楽に溢れているが、その使われ方はミスマッチかタモリ倶楽部的なものが多い。
絶対誰もが聴いたことある有名なカントリー曲(?)なのだが、僕はその曲名がわからないのでyoutubeで検索もできないけれど、例えばその曲は電車内で久保と堺が女をサンドイッチして痴漢するシーンに流れ、その歌詞に”choo choo train(汽車ポッポ)”とあったりするところがいかにもタモリ倶楽部的。ちなみに”choo choo train”には米スラングで「一人の女が複数の男とセックスすること」の意味もある。なるほどカントク!


その他、久保&堺が痴漢するため住宅街を徘徊していたとき、画面に畑が一瞬だけ映るバックには、”裏の畑に芋植えて 長くなれ 太くなれ 毛も生えよ そしたら私のすり鉢でトロロになるまで擦りましょう♪”という猥歌(タイトル不明)が流れるのだが、もうタモリ倶楽部的というのを飛び越えてしまって、ほとんど意味すらわからない!
この歌詞での「芋」とはもちろん「ペニー」であること言うまでもないが、ちなみに昔の性具には「ずいき(芋茎)」というものもあった。これは今で言うところのペニーリングの類いだろうが、文字通りハス芋の茎の皮を剥き、それを乾燥させて紐状にしたものを指す。これをペニーの「かしらよりかけ、あやをとりてねもとにてとめる」といった具合に装着して挿入すると「中にてふやけ、ぬきさしにきみよし」ということで、また芋茎を使うとヴァギーがひどく痒くなるらしく、女はその痒さを紛らわすために(ペニーでヴァギー内を掻いてもらうために)、”もっともっと!”とお願いするようになるという。なるほど、この性具を「ずいき(随喜)」とはよく言ったものだと妙な感心をしてしまう。ちなみに中野栄三『江戸秘語事典』によると、「芋」は「秘語で男陰の異称」とある。


その他の猥歌では「よさほい節」も久保&堺がホームレス生活してるときに流れる。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9962/zatsu/zatsu_05.html


高橋明の猥歌「なんけ節」は流れない(当たり前だ)。



カントクの『特殊三角関係』をひどく楽しみにしていたが、期待が大きすぎたかも。ショパンの「別れの曲」が流れるなか、谷ナオミ野上正義が出ていったあと手に持ったタバコを二つにちぎる、二人は今別れたということを示す演出が心憎いばかりで、しばらくシリアスな調子だったので、まさかこのまま最後まで行くのか?!と、もしもそうだったときのことを考え吃驚する準備をしていたが、偉人たちの恋の名言を野上がナレーションするあたりでやっぱりふざけた映画なのだとわかる。自分が期待していたようなはじけ方はなかったけれど、男と妻と前の女の特殊三角関係は面白かった。神代映画でもそうだが、谷ナオミはSMの女王よりもコメディエンヌの方がとてもいい。