ずっこけ欽也の映画放談〜『禁じられた乳房』他

いまラピュタ阿佐ヶ谷で開催されている「60年代まぼろしの官能女優たち」も残すところあと二作品となり、内田高子、若松孝二、小川欽也、久保新二、野上正義、香取環という錚々たる顔ぶれのトークショーも、5月2日の香取さんを最後にすべて終わってしまった。祭りの後はなんだか寂しいものですね。
それはともかく、ミーちゃんハーちゃんな僕はトークショーを全部観ようと密かに目論んでいたが、他の予定とかち合ったり、発熱時に風呂に入ったら今度は逆に体温が35度以下になって孤独死しかけてたりで、結局皆勤賞は無理だった。
映画館にも病院にも行かず、家でナマの生姜ばかりをポリポリと齧り(白血球が増える)ながら長らく臥せっていたので、当然ブログを書く気も起きず、だから完調した今、ようやく4月7日におこなわれた小川欽也監督トークショーの回想録をば(遅っ!)。



小川欽也監督の『禁じられた乳房』を鑑賞。
この映画を最後に天井桟敷の看板女優になる新高恵子演じる女囚が、娑婆に置いてきた赤子に会いたい一心で刑務所(ムショ)を脱獄するという話。
この手の女囚脱走もののヒロインといえば、後年の東映PV「さそり」の梶芽衣子や、日活ロマポならば「実録おんな鑑別所」の梢ひとみなど思い浮かべるところで、彼女らのクール&ビューティーの背景にあったのは「復讐心」だった。子供に会いたい「愛」の一心で脱走する新高恵子は、その社会の秩序に楯突く行為をするわりには、冷静さに乏しく、浅はか、そして弱々しい(言うなれば赤子は人質みたいなものなので確かに”立場”は弱い)。無力な新高が周りの人々のサポートによって初めて大願成就(子供救出)するというのが女囚脱走ものにおける新味(こっちの方が年度は早いが)と言えばそうなのだが、まあ個人的な好みの問題でしょう、確かに魅せるカットはあったけれど、これならば隠れてこきおろしていた『女王蜂の欲望』の方がよっぽど面白味があったと今になって思う。
しかし『禁じられた乳房』は、赤子におっぱいをあげることを禁じられた母親を意味すると同時に、この時代の映倫規定をも言い得てるようで妙。1966年の映画だが乳首はほんの一瞬ワンカット写っただけ。たった一年の差なのに、1967年のピンク映画の裸の露出度とは雲泥の差。



小川欽也監督のトークショー開始。75歳にして快活なしゃべり。まだ現役だしね。
今回特集の『女王蜂の欲情』と『禁じられた乳房』の16mmフィルムは小川欽也監督から借り受けたものらしいが、トーク冒頭に何故この二本を手元に置いていたのかを聴かれた小川監督はこんな風に答えた。


「『女王蜂の欲望』は大映の大石君(?)っていう、江戸川乱歩のお弟子さんがいて、その人が脚本を書いてくれたので残しておきたかった」と。


この小川発言を聴いたとき僕は”今まさに我が意を得たり!”と心の中で快哉を叫んだ。というのは、『女王蜂の欲望』はネタバレさせちゃこれから観る人に悪いという考えから、自分の日記には内容に関することを(面白いとか、つまらないとか、そんなような一言も)一切書かなかったのだが、この映画を観た知人のコメ欄にはこんな書き込みをしていたのだった。すなわち…


「いやあ、ぼかぁ、座席からずり落ちましたよ。ウッチー(※内田高子)を戒めるためだけに、この子供騙しの大芝居やトリックを、あくまで大真面目にやってる彼らを見て、なんか乱歩晩年の少年探偵団シリーズかと錯覚しました。ころころと激変する若者のキャラにもズッコケました。見方次第で、ある意味面白いんですが、まあ、おいおい…って映画でしたね」と。


少年探偵団シリーズの後期は「江戸川乱歩」の名前でゴーストライターが書いてたことは周知の事実だが、『女王蜂の欲望』の脚本家が乱歩の弟子ということなら、そのゴーストライターの一人だったかも知れないなぁ、ふむふむ、などと一人で妙に納得していたのだが、直後の鈴木義昭氏の「脚本は前原さんとありますが…」というつっこみ、それを受けての小川監督の「あ、乱歩のお弟子さんは『禁じられた乳房』の脚本の方でした」の一言に、”おいこら!小川!”と、ぼかぁ、またもや座席からずり落ちそうになりました。ほんと小川監督は僕をズッコケさせる天才だなぁ…。
というわけで『女王蜂の欲望』の脚本「前原昭児」は乱歩の弟子ではなく、TBSドラマ『月曜日の男』(待田京介主演の推理ドラマ)の脚本を書いてたときの小川監督の相棒だそうです。前原昭児は後に『破れ傘刀舟悪人狩り』での錦ちゃんの決め台詞、「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」を作った人物だそうです。


『女王蜂の欲望』と『禁じられた乳房』を手元に置いておいたという話の流れで、大蔵映画のジャンク事情について語られる。あるときなどは、小川監督がロケから大蔵撮影所に帰って来たら、ブルトーザーで穴を掘ってて何をやってるのかと思ったら、フィルムからネガから全部その穴に放り込んで捨ててたそうだ。現在大蔵撮影所は「オークラランド」と呼ばれる遊戯施設等になっているが(世田谷通り沿いにあるのでバイクで渋谷に行くときはいつも前を通る。大蔵のトレードマークの「王冠」は今現在もかかげられている)、だからまだその地下を掘りおこせばフィルムがあると冗談っぽく言っていた。
他にも取っておいたネガが何本かあったようだが、撮影所の改装にともない紛失。小川監督がトーク中、しきりに”おばけ映画”と繰り返してた『生首情痴事件』『怪談バラバラ幽霊』のフィルムは、小川監督ではなく誰か他の人が所有していた物らしい。
そして、まだもう一本掛けられるおばけ映画のフィルムがあるという話が出て、”おっ!”となる。ここで言うおばけ映画とは、以前に某怪談映画本の執筆者と話題になったことがあって、いつか観たいと思っている『新怪談色欲外道 お岩の怨霊四谷怪談のこと(*1)。
これは「四谷怪談」を現代劇に焼き直したものらしいのだが、なんでも真ん中の三十分ぐらいが毛利正樹四谷怪談』(新東宝)の見せ場の場面を編集した映像らしい。ちゃんと新東宝から版権を買ったそうで、映画館で上映する分にはなんの問題もないが、例えばソフト化の話になると、また違った権利の問題が出てめんどくさく無理らしい。小川監督は真ん中の毛利正樹四谷怪談』部分をカットして、現代劇のところだけ繋げても全然行けるのにみたいなことも言っていた。トーク中、『新怪談色欲外道 お岩の怨霊四谷怪談』の主演女優をずっと三条まゆみと言っていたが、これは監督の勘違いでしょう。


『生首情痴事件』『怪談バラバラ幽霊』と来れば、同様に「大蔵怪談傑作選」としてソフト化されている『沖縄怪談 逆吊り幽霊・支那怪談 死棺破り』(*2)、と来れば監督の小林悟、と来ればピンク映画第一号『肉体の市場』、と来ればそのチーフ助監督だった小川欽也の撮影秘話も興味深かった。
「婚約者と来ていた女性が、トイレの中で犯されたんですよ。犯された女性と婚約者は、ビルから飛び降りて死んだ…。みんなが、そばにいるんだ。いるんだけど、そこで犯されたり殺人が起こる。これからの世の中、だんだんこうなって来るんじゃないかなって気がすごくした」というのは『肉体の市場』について監督・脚本の小林悟が語った言葉で、六本木で実際起きた事件をモチーフにした映画だったようだ。この頃の六本木は流行の最先端を行く若者たちが跋扈した街だったらしく、その中から加賀まりこ大原麗子、一星ケミらをメンバーに擁する「野獣会」も生まれた。
小川監督曰く、六本木の交差点で若者達がミュージカル映画ウエスト・サイド物語』のように踊ったり、それをそのときはカメラにズームがなかったので、コマ撮りしてそのように見せたという。フィルムセンターに『肉体の市場』は一巻だけ保管されているらしいが、残念ながらそのコマ撮りズームのシーンは入ってないらしい。
あと小川監督はこの頃は「ピンク映画」とは言わず、予算が少ないという意味で「B級映画」と呼んでいたんだとしきりに言っていたが、「ピンク映画」なる語はこの一年後の1963年『情欲の洞窟』のロケを取材していた「内外タイムス」の村井実がそう書き出してから世に浸透したと言われているので符合する。ようするにピンク映画だろうが、一般映画だろうが、映画は映画ということだ。


他には、カメラはミッチェルを使っていたから機動性がなく、だからそういう映画の撮り方になったとか、椙山拳一郎が天井桟敷の舞台に出ていたとか、女優についての思い出話とか、中でも『恋狂い』の左京未知子は胸と尻に当時では珍しくシリコンを入れていて歳とってもそこだけ引っ込まないとか、劇場が「小川欽也」の映画を欲しがるので今でも年に二本ぐらい撮っているとか、そんなようなことをちょこちょことしてお開き。



(*1)
テレビで『必殺仕事人』を観ていて琴線に触れたものがあった。第54話「呪い技 怪談怨霊攻め」ってやつなんだけど、監督松野宏軌の演出も毎度のことながらスタイリッシュで美意識に溢れてるわけだが、まあそれはともかくとして、これは必殺版の「四谷怪談」で、冒頭、伊右衛門のポジションに主水、戸板に打ち付けられたお岩にりつ、その裏にせんで、”執念深いカカァとババァめ、養子のおれを馬鹿にしくさった酬いだぁ、くたばれぇ!”と(笑)、プログレ的なかっちょええ音楽にのって盲滅法に幽霊を斬りつけ、もんどり打つ主水、いやそれよりも、わが菅井きんのお化けメイクに大爆笑!!!!
まあこれは主水とせんが見た夢なのだが、本筋の方も四谷怪談のパロディで、登場するのは民谷伊右衛門ではなくて”宮田宇右衛門”(笑)、まあ映像化された四谷怪談ってのはたくさんあるが、同じ四谷怪談でもそれぞれで伊右衛門やそれを取り巻く人物の描かれ方が全然違うわけ(お岩のお化けメイクもね)、たとえば天知茂佐藤慶が演じた伊右衛門は美しく咲いた悪の華なんだけど、今回の必殺版の伊右衛門ならぬ宇右衛門は、タイプ的に1959年に三隅研次が撮った『四谷怪談』の長谷川一夫で、これは数多ある四谷怪談の中でも異色の伊右衛門像に思われ、それというのもこの伊右衛門はお岩を殺したり毒薬を飲ませるという気がさらさらなく、お岩殺害計画は伊右衛門の全くあずかり知らぬところで、全て周りの直助グループによって行われるという。しかも最後は、伊右衛門が殺されたお岩の怨みを晴らすため、直助らを全員斬り捨てるというね、まあ必殺版は仕事人の殺しがなきゃ話にならんので、宇右衛門は妻の敵に襲いかかるも返り討ちにされちゃうのだけれど。
ちなみに三隅版『四谷怪談』は、戸板に死体を釘で打ち付けるシーンもないし、伊右衛門はお岩の父親を殺さないし、とにかく残酷度・非道度が低めで、長谷川一夫だからなの?って邪推してしまうんだけど、他にユニークな四谷怪談では、新東宝といえば1959年の監督に中川信夫伊右衛門天知茂の『東海道四谷怪談』が傑作の誉れ高いけれど、同じく新東宝で1956年に毛利正樹が撮った若山富三郎伊右衛門の『四谷怪談』、これは躊躇しつつも結局お岩を自ら殺すことは殺すのだが、殺したことにいつまでもくよくよし、”岩、許してくれ”と最後までそんなことを言って死んでいく、なんとまあ情けない伊右衛門なんだが、この四谷怪談の新機軸といえば、誰よりも悪いのが伊右衛門の母親という、伊右衛門にお岩を殺すことをたきつけ、終いには母親は直助(田中春男!)と組み、煮え切らない伊右衛門を脅迫までする始末…。
と、仕事人のことから随分話がそれてしまったけど、まあ四谷怪談にもいろいろバリエーションがあるってことですね。新東宝1956年版『四谷怪談』の映像を多く引用してるらしいのだけど、大蔵のピンク映画版「四谷怪談」、一度でいいから観てみたいもんです。


(*2)
『沖縄怪談 逆吊り幽霊・支那怪談 死棺破り』1962/小林悟・邵羅輝
死んだ夫の葬式もすまないうちに美男子に結婚を迫る不貞の未亡人・一条美矢子。美男子の発作には人間の脳ミソが効くと知るや、男に狂ってる未亡人は死棺を開けて亡夫の脳ミソを取ろうとし、結局は妖術使いで本当は死んではいなかった旦那に焼き殺される「支那怪談 死棺破り」。未亡人・一条美矢子のブサイクな顔がもうすでに怪談。どうでもいいが、ドラゴンブックス『吸血鬼百科』には「支那怪談 死棺破り」のスチールが掲載されていたりする。
「沖縄怪談 逆吊り幽霊」の方は四谷怪談の翻案とも言うべきストーリー。妻の浮気を心配し嫉妬に狂う大原譲二に、その身の潔白を示すために自ら片目を潰す妻・香取環。四谷怪談を翻案としているならば、当然この「お岩」と言うべき香取環は顔が腫れた化け物に、そしてこの妻を見捨てて他の女と結婚を目論む「伊右衛門」大原譲二と、香取環殺しを吹き込む悪者「直助」のような若宮隆二。結局殺された香取環は片目が潰れ爛れたお岩となって登場(お岩メイクの香取環!)。しかも逆さ吊りで!これに悩まされた悪者たちは、死体の足を釘づけすると幽霊が出ないことを知り、墓を掘り返し死棺を開けて顔が青すぎるキッチュな死体の足に釘を打つ。この時の”ギャー!”と叫ぶ死体がちょっとだけ怖い。「釘を、釘を抜いておくれ〜」と和尚に頼む幽霊、和尚に助けて貰い見事復活した幽霊は悪者たちを祟り殺してめでたく成仏。しかしバーに現れる幽霊というのはちょっと珍しい、そして日華共作(?)だからなのか喧嘩のシーンがカンフーなのがバカ。