チェブラーシカのギャランドゥ

 思えば僕が初めてチェブラーシカを観たのは何年だったかなぁ、とにかく本邦初公開のときに旧ユーロスペースで観たのでした。そのときの上映ではまだ「こんにちはチェブラーシカ」1969、「ピオネールに入りたい」1971、「チェブラーシカと怪盗おばあさん」1974の三本立てで、第四話目の「チェブラーシカ学校へ行く」1983はラインナップに入っていなくて、確かこれより後に発売されたDVD特典として収録されるのでした。
 チェブ好きの僕ですが、でも実はいままで第四話を観たことがありませんでした。しかし、ようやくDVDでもって観る夢が叶ったのでした。
 DVDの嬉しいところは一話から三話までの「日本語吹き替え版」が収録されていることで、いやあ、チェブの声がかわいいのは言わずもがなだけど(声優は大谷育江さんというそうです)、歌にうまく日本語の歌詞をのせてるところにただただ感心。吹き替えの演出も良いし、翻訳家の言葉のチョイスもよろしいかと、いじわるおばあさんが”忌々しい!”とか叫んだり、あまり子供用と意識した翻訳じゃないのかも知れませんが。いじわるおばあさんが小さな犬に追い立てられる場面、字幕だとおばあさんの台詞は”助けて この悪党!”と出るんですが、吹き替えだと”意地の悪い犬ころめ!”
 い?犬ころ?!(笑)この単語を聞くと、パブロフの犬ころのごとく三原葉子を思い出してしまうのは僕だけでしょうか。
 チェブはかわいいの一言なのでもう何も申すことはありませんが、初めて観た第四話は10分弱の小品ながら、音楽が個人的にツボ、ほとんど前三作と制作年度に十年ほどの開きがあるせいか、いつものチェブラーシカのテーマ曲がアレンジされててイカします。例えるならば、”チェブラーシカの歌 土ワイ乱歩風バージョン”。なんだかロシア独特のメランコリックさをもったチェブラーシカの世界が一気に煽情的に、何かこれからサスペンスが起きるような、そんな高揚感にもつつまれた雰囲気になります(ほんとかよ?!)
 したら起きましたよ事件が!チェブラーシカは字が読めないことが判明、急遽学校へ行くことに!
 それに第四話は、素敵にドブキュートなラリースカが結構活躍してて嬉しいですね。ラリースカはドブネズミだけど女の子です。チェブラーシカは性別不明です。
 余談ですが、もともとは日本でいえば、映画館で本編の前に流れる予告編、あの時間に流れていたものがチェブラーシカだそうです。
 仕事料の他に高額なおこずかいまで貰うという『霧につつまれたハリネズミ』で有名なユーリ・ノルシュテインは、チェブ監督であるロマン・カチャーノフの弟子です。そういう意味で、以前ラピュタでやった特集上映のときの半券いいでしょ、チェブとハリネズミのコラボなのです。

 それにしても、チェブをアップで撮ると、なんだか無頼の”雲助”のように見えちゃうのは僕だけでしょうか?(チェブの立派なギャランドゥ!)

 だいたい”雲助”というと、そのイメージですぐにパッと私の脳裏に浮かび上がるのは吉田純なのですが、なんかそう見ると吉田純とチェブラーシカって顔似てないか? いや、似てると思うんだよね、チェブラーの僕が思うに。
 もしもチェブラーシカを実写でやるならば、チェブは石野卓球、ゲーナはピエール瀧と、チェブファンから総スカンを喰らいそうなことをいままで主張してきた僕ですが、心変わりした今の気持ちは、チェブ役には吉田純を!!

 って吉田純とか、生きてるのか死んでるのかも僕にはわからない人ですけど、1970年頃に日本でもチェブラーシカがヒットしていたら、たぶんその流行に乗っかってチェブのピンク映画バージョンが作られていたかも知れない。したら、当然”雲助チェブ”は吉田純、ひえー、悪いけど、やっぱどこか憎めない、それをいいことに破廉恥三昧…、みたいな。
 まあ、まず日本初の”本格的獣姦映画”になってたことは間違いなく、人間以外の得体の知れないチェブラーシカという生物を演じた!ということで、日本初の自作自演ブルフィル活弁監督(*1)の称号とともに、また新たな吉田純伝説を作れたのになと、まあそんなくだらない妄想をすることはただ単に楽しいというおはなしです。


(*1)
 名調子!まいりました!よっよっ!よー!やれやれ!かっこいい!うわー色男!待ってました!うそだぁー(笑)何やってんだ、大将!なーにが(笑)何やってんだろうな?どうしてんの?もっと下うつせよ、下!ばっちり!見たな?見た見た!見たぞー!大統領、色男、スケベ!肝心なとこうつんないよ!
 現在”自作自演活弁監督”といえば、まず思い出されるのが山田広野であろう。「自作の映画に自らが活弁をつけるという突然変異的な方法論」をもってして彗星のごとく現れたオゲレツスカトロバカ監督である。ライブではどっかから見つけてきたブルーフィルムを流し、それに活弁をつけて行くということもしているようである。
 しかし、自作自演活弁監督といえば、山田広野以上に忘れてはならない重要人物がいる。1970年に現れた吉田純である。
 山田広野以上に吉田純が凄いところは、”一世一代の傑作を撮ってやる!”と、自ら監督・脚本で制作したブルーフィルムに、自ら出演、自ら活弁をつけて、自らフィルムを回して上映することである。ブルーフィルムとは8mmフィルムで男女のチョメチョメを撮影した違法ポルノ映画のことだが、普通の映画ならともかく、この手の違法フィルム(しかも自分出演!)に活弁をつけることを、すでに35年も前にやっていたのだから驚きである。
 と言っても、これは渡辺護大和屋竺による『マル秘湯の町 夜のひとで』という映画の中でのおはなし。ちなみに冒頭のセリフ群は、吉田のブルーフィルムを観ている客たちが、活弁する吉田純やスクリーンに浴びせかけるかけ声である。かけ声のバリエーション、客が声をかけるタイミングのよさ、そのかけ声に対して活弁中にする吉田と客との掛け合いの絶妙さ、もはや名人の域、それに加えて吉田純の名調子の活弁、これはまさに自作自演ブルフィル活弁監督・吉田純の面目躍如であった。