一角座トークライブメモ〜いまさらながら上杉清文篇

migime2007-09-07

「坊主刈りで−彼はプロの坊主だけど−額に光りがあり、眼はロンパリで、童顔で、八重歯で、ほんとうにアホみたいによだれをたらしながら、地上の邪念から解き放たれて踊る上杉清文の姿は、さながら地に立つ巨大な白痴である」(平岡正明

「株式会社天象儀館」の業務内容といえば、映画社もそうだし、歌劇団も言わずもがなだろう。と言っても、僕は天象儀館の歌劇を観ることができた世代ではなく、おそらくビデオなども発売されていないんだろうね。なので、舞台脚本や歌劇団の宣伝媒体「天象儀画報」*1からほんのわずかな情報を得られるばかりで、肝心要の荒戸源次郎の舞台演出なんぞは想像もつかない。歌劇であるのに、歌の歌詞はわかっても、メロディがわからない。ダイナミック・エンゼルスの歌声がわからない(宗像笙とビビ・クチンスカヤの歌声は『朝日のようにさわやかに』で聴いたけど)。今となっては映画社の『朝日のようにさわやかに』以上に謎だし、また眷恋の業務内容と言っていい。
それはともかく、映画の主題歌「朝日のようにさわやかに」の歌詞を書いた上杉清文は、天象儀館の座付きで、歌劇団の全ての舞台の脚本を書いていて、また上杉清文による天象儀館のプロパガンダ「天命秘帖」を読んでも、その若き天才ぶりには舌を巻くほど。他、上杉清文論では平岡正明の『スラップスティック快人伝』が出色、めちゃ面白い。ちなみに『映画評論』だったか、上杉清文は「1974年期待の大器25人衆」の一人にも数えられ(他には例えば、荒戸源次郎J・A・シーザー、秋山ミチヲ、外波山文明、田中陽造萩原朔美、蔵田實*2など)、その上杉の紹介文は大和屋竺が書いていた。

上杉清文なる天才を見るべく、8/4は一角座にその実物を見に行ったというわけだが、一角座のトークは回を重ねるごとにぐだぐだで、まあ話すネタも毎回毎回ないのだろうとは思うけれど、いやあ、この日の荒戸×上杉のトークはいままで見た中で一番ぐだぐだだった(笑)。と、そんなこと思ってるのは僕だけかも知れないが、まあ二人がトークで話したことは全部知ってることだったので(上杉清文の『愛欲の罠』評さえも読んでいる。当時はスピードが足りないと言っていた上杉も、還暦になったらスピードとかもうどうでもいい。のんきでいいねー、と言っていたのにはウケた)、正直食い足りなかった。もう少し突っ込んだ話を聞きたかった。喫緊の問題として、今後の一角座のトークには当事者から話を引き出す優秀なフリ役、司会者が必要だ、と思う(なんてこのとき思っていたら、いつからだったのか、とりあえず最終日の司会は荒戸から上野昂志にスイッチされていた)。
唯一、へぇーとなったのは、『愛欲の罠』で狙撃される社長、当初は上杉清文の予定だったらしい。何故に上杉が『愛欲の罠』に絡めなかったかは『悪魔に委ねよ』に詳しいのでないかい。「朝日のようにさわやかに」の歌詞は担当しているけれどね。
壇上の荒戸源次郎上杉清文の他に、天象儀館社員、秋山道男櫻木徹郎、熊倉正雄、が客席に。あと沖山秀子とおぼしき女性が、僕の斜め後ろに座り、トークにずっと合いの手を入れていた。

一角座トークライブメモ、浦沢・暁篇、櫻木徹郎編と続く。

*1:例えば「天井桟敷新聞」をまんま天象儀館版にした感じの物、と言ったらわかりやすいか。スキャナがあれば、画像載せるところだが。

*2:白川和子×佐藤重臣の『さらばパラノイアの群れ』も眷恋の一本。1973年・16ミリ・カラー・50分。白川和子の出演承諾を貰わないまま、「わが夢想する白川和子の一日」という脚本を書き、蔵田實はスタッフとともに制作を決定。しかも、このとき制作資金約120万円を集める目途は全く立っていなかったという。『実録白川和子 裸の履歴書』を最後に映画の仕事は一切しないという白川和子を何度も何度も口説きつづけ、さらに日活の制作本部長に交渉し、商業映画館では上映しない条件で撮ることが許されたという映画。しかし、クランクインの前日、白川和子とその夫が突然、男との絡みのシーンを一切拒否すると言い出して…また交渉。ロマポの脚本なども書いてるようだが、制作・脚本の「賀来恋慕」は蔵田實の変名。ビデオなかろうか?