隕石直撃以上の不条理〜「佐藤肇を再見する」備忘録

6月7日、アテネフランセ、「佐藤肇を再見する」を観るため12:30にJR御茶ノ水駅で待ち合わせ。上映開始時刻は14:50であったが、念には念を入れて早めの会場入り。それでもすでに20人ぐらいの客が並んでいて驚く。



14:50『怪談せむし男』(*1)上映開始。



16:20『乱れからくり』上映開始。


1982年に放映された円谷プロ制作の「火曜サスペンス劇場」で、正式には『〜ねじ屋敷連続殺人事件』とサブタイトルが付く。監督:佐藤肇、脚本:大和屋竺、出演:古城都柴田恭兵新藤恵美中尾彬岸田森菅貫太郎草野大悟、他。


直前に『怪談せむし男』という重厚なゴシックホラーを見せられ、そして眼前に現れた『乱れからくり』の「ねじ屋敷」がさきほどの「せむし屋敷」と全く同じだったとき(*2)、なるほど「佐藤肇を再見する」の企画者は「家モノ」でまとめてきたのかと独り納得をし、『怪談せむし男』同様の演出を期待したが、それはすぐに裏切られた。佐藤肇の軽妙さといえば、すぐさま『散歩する霊柩車』のようなスリラーコメディの傑作を思い出すが、そんなものより全然軽い、もっと言えば、チャラい。このチャラさ、諧謔性は、大和屋脚本と役者(古城都柴田恭兵)のキャラクターに因るところが大きいと思うが、それは後述するとして、とにかく乱れからくり史上(?)こんなにフザけた『乱れからくり』が他にあっただろうか?!


いや、フザけてるといえば、1979年4月に公開された映画版『乱れからくり』だって、そうと言えばそう言えなくもないのだ。”シナリオは原作に忠実であるべき”とは個人的に全く思わないが、ただこの映画の脚本家は泡坂妻夫の原作で一番面白いところ、重要なところ、物語のキモをことごとくカットまたは改悪しているので、逆の意味でも他の意味でも笑えるのだが、原作のファンにとっては”フザけんな!”という感じだろうなというだけの話。
ただ映画版『乱れからくり』に原作云々言うのはナンセンスで、原作とは正反対の勝敏夫(『乱れからくり』の主人公の一人)のキャラクター設定を見れば一目瞭然、松田優作はいついかなるときも松田優作以外の何者でもなく、この映画はその”優作っぷり”だけ観ていれば、それでいいのだ、それが正しいのだ。『乱れからくり』が1978年に日本推理作家協会賞<長篇賞>を受賞したことと翌年の映画化がばっちり符合するが、それに加えて元々松田優作ありきの企画だっただろうことは容易に推察できる。1979年といえば、テレビドラマ『探偵物語』が秋より始まるのだが、映画版『乱れからくり』の松田優作の言動はどっからどう見ても工藤ちゃんであり、刑事の山西道広をおちょくる絡み等々も、まさに”探偵物語前夜”といった趣きなのである。


松田優作のことはともかく、映画版以上のミステリーと言わざるをえないのが、ドラマ版『乱れからくり』の企画であって、特に主演女優である古城都の理由が全くわからない。古城都http://www.k-miyakos.com/intro.html)は宝塚歌劇団の男役トップだった人で、宝塚スターは退団直後に映画やテレビのオファーが殺到するケースがよくあるように思われるが、主人公の女探偵を「元タカラジェンヌ」と設定したこのドラマもそういう企画の一つだったのかなと思いきや、古城都は1973年に宝塚退団、同年『大江戸捜査網』にレギュラー出演して以降、1982年の『乱れからくり』まで映画やドラマに一切出演してないようなのだ。この約9年のブランクを経ての主役抜擢をどう解釈すればいいのか。しかも、お世辞にも古城都は決して美人とは言えず、僕の目にはむしろ結構キツい部類のおばさんに映ったものだが…。


だけれども誤解してはいけない。古城都が抜擢された理由は全くわからないが、ドラマを見終えた後ならば、最後のオチも含めてヒロイン(?)は古城都以外には考えられないことがわかるのだ。
原作と映画では、女探偵・宇内舞子は「元交通課の婦警」であり、例えば、前者は男勝りの姉御肌ではあるが、病身の夫がいたり、婦警時代に着せられた収賄の濡れ衣をはらし警察にカムバックすることを思い詰めていたり、心にどこか暗部がある、陰がある。後者は、野際陽子が演じていたが、原作およびドラマと違い、松田優作が一人で全部謎解きしてしまうので、それを聞くだけの単なる役立たずのおばさんに成り下がっている。
しかし、ドラマの女探偵は「元タカラジェンヌ」であって、夫もいなければ、濡れ衣をはらす必要もなく、原作通りすべての謎を解くので役立たずのおばさんでもない。そしてなにより古城都はその容姿、雰囲気、キャラクターと、もう全身全霊とにかく明るい(野際陽子より断然ミリキ的!)。そして何故か、劇中ではビスクドールに例えられるほどの美人の設定で、異様にモテる!(中尾彬なんか迷路の中でレイプしようとするし。んなアホな!)
原作のキモには忠実であった大和屋脚本だったが、それでもまず特筆すべきはこの女探偵を「元タカラジェンヌ」としたぶっ飛んだ設定なのだ。これによって、ドラマには原作にも映画にもないスラップスティックさが生じ、とにかく古城は踊って歌うし、劇中のタカラジェンヌギャグも拡がりを見せるのであった。例えば、中尾彬が古城の探偵事務所を訪れるシーン、中尾の”もしかしてあなたは宝塚のトップスターだった古城都さんじゃないですか?”に、”ばれたか”とおちゃらけ顔で返す古城、でもお約束で事務所の壁には一面タカラジェンヌ時代の写真(本物)が飾られているとか、まあ文章では伝わらないだろうが思わず吹き出してしまう面白さが、古城都にも、ドラマの雰囲気にもあり、そういう意味でこのドラマ版『乱れからくり』はかなりフザけているのだ。


スラップスティックといえば、鼻持ちならない演技で観客の笑いを誘う、コメディリリーフとしか思えない岸田森草野大悟の登場もあったが、忘れてはならないのが勝敏夫を演じた柴田恭兵だろう。原作通りの純情で生真面目な部分も演じたが、やはり柴田恭兵松田優作同様、どっからどう見ても柴田恭兵なのであって、まるで後年の「あぶ刑事」を観ているようだと言ってはいささか誇張があるが、柴田恭兵の軽妙なノリは誰だって想像するのは容易いでしょう。それが古城都とコンビでドタバタやるのだから面白くないわけがない。
例えば、このドラマは開巻からして人を食っている。試みに導入部の比較をすると、原作および映画はだいたい挫折した勝敏夫が宇内舞子の事務所へ面接に行き採用される場面から始まるのだが、ドラマでは顔を隠した怪しい男が宇内舞子の事務所に時限爆弾を仕掛けるところから始まる。その男はボクシングジムで汗を流している勝敏夫に電話をかけ、時限爆弾を仕掛けたことを告げる。トレーナーであるガッツ石松の制止も聞かず、ジムを飛び出し現場に駆けつける勝、事務所の下はブティックなのだが、そこの店員たちに”爆弾だ!逃げろ!”と告げた後、”宇内さん!宇内さん!”と叫びながら事務所にあがるが彼女の姿はそこにない、爆弾を探し出しそれを手にし処理しようとした瞬間、部屋の電灯がつき、”8分かかった。まあまあだね”みたいなことを言う声が聞こえる、振り返るとそこには怪しい男に変身していた宇内舞子が立っていて、勝は勝で次はもっと頑張るから給料あげろみたいなニュアンスのことを言い返すのである。もちろんこんなシーンは原作にはない。観客にいきなり肩透かしを喰らわすこのパターンは『国際秘密警察』のヴァリエーションでもあるが、この導入はドラマの性格も決定づけていて秀逸であった。


人を食っているといえば、『乱れからくり』で一番面白いシークエンスについても触れなくてはなるまい。
それはねじ屋敷連続殺人事件の犯人が、連続殺人がまだ一つも行われていないのに死んでしまう場面で、物語序盤にいきなり死ぬというのも凄いが、またその死因がさらに輪をかけて物凄いのなんの。なんと車を運転中、空が突然ピカリと光るやいなや”隕石”が墜ちてきて(特撮)、それが犯人の車に当たって死んでしまうのである。なんの前触れもなく突然眼前に繰りひろげられたこの不条理の極みのような展開に面食らい、”すげーよ!アツシさん!”と叫びたくなるが、なんてことはない、これは原作を忠実に踏襲しているのだ。原作ではいちおう言い訳のように隕石が人に直撃した例をいくつかあげ、あり得ない話ではないんだとムリヤリ整合性を保とうとしているフシがあるが、火サスの限られた時間でそんな無駄話をしている暇は一切なし、その開き直り、潔さがますますいい。
ちなみに映画版での車の事故は隕石の直撃ではなく犯人の自作自演。自分を事故死に見せかけて…という隕石よりもまだリアリズムを意識したかのような話になっている。


隕石直撃で犯人が死んだ後も、次々と自動的に連続殺人が起こるからくりがこの物語の面白さだが、その殺人方法で特に良かったのは銃弾を仕込んだ万華鏡を使った殺人。万華鏡を覗いて、それをくるくる回すと、万華鏡から銃弾が発射され片眼を撃ち抜くというもの。このイメージは大和屋竺の殺し屋モノを彷彿とさせるようではないか。銃弾が発射される場面、映画では軽い扱いでシルエットのみだったが(片眼に穴があいた被害者の描写だけは生々しい)、ドラマでは万華鏡の中に仕掛けられた銃身を通って銃弾が爆発する描写などがあり、こういうのはつくづく琴線に触れる。
あと映画には出ないが、中尾彬殺しで使われる”逆立ち人形”の精巧さ、岸田森殺しで使われる”魔童女”なる醜悪な人形の美術にも舌を巻いた。


女探偵を「元タカラジェンヌ」とした設定、コミカルな人物設定、アクロバチックな導入部分、隕石直撃などの原作のキモは忠実に踏襲した脚本など、その面白さに、これは大和屋竺による映画版は言わずもがな原作さえも超えた『乱れからくり』であると断言してしまいたくなるが、さて最後に、このドラマで大和屋竺が仕掛けた最大の乱れからくり、肩透かし、悪ふざけについて書いてこの備忘録を終わりにしようと思う。
開巻の時限爆弾のシークエンスで、”スキあり!”と言って古城都柴田恭兵を小突くシーンがある。スキがあったらいつでもかかってこいと言う古城に突っかかっていく恭兵だが、古城にはいつも見事にかわされる。恭兵はまだ一度も古城のスキをついたことがないのだ(シャワーシーンでの古城はスキだらけだったが恭兵は自重した)。これが伏線。
ドラマのラスト、ねじ屋敷から持ち出した無価値と思われた天保銭が、実は真鍮でメッキされた黄金であったことを発見し、興奮に沸き立ちキャーキャーとはしゃぐ二人、そのとき恭兵が”スキあり!”と古城に襲いかかるとき、意表をつかれた古城は避けきることができず、まるで社交ダンスのような、宝塚歌劇のような恰好で、恭兵は古城を抱きかかえてしまうのだ。そしてそのまま二人は唇を近づけて…
ウギャー!!!!!!!!!!
スキがキスに変わったってか!思わずブッと吹き出したわい!腰がくだけたわい!恭兵はついさっきまで容疑者であった新藤恵美にお熱だったはずなのに!なんなんだこの展開!
そのあと場面は、古城と恭兵が冬の砂浜を肩を抱き合って歩くという仲睦まじいショットに変わり、そのタイミングでスタッフロールとエンディング曲の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が流れるのだが…、岩崎宏美の感動的な名曲で誤魔化そうとしても、あの殺意さえ覚えた二人のラブシーンはなかったことにせんぞぉー俺は!ファック!ファック!ファック!ファック!ファァァァーーーック!!!!!


最後の最後に仕掛けられた隕石が直撃する以上の不条理劇、嗚呼……



蛇足ではあるが、映画版、ドラマ版、どちらにも出演していたのは、馬割鉄馬を演じた岸田森だけである。前者では甥の嫁(篠ひろ子)の身体をまさぐる瘋癲老人っぷりを見せ、後者では出番は少ないものの「ごゆっくり。ごゆっくり」の台詞回しだけで観客の笑いを誘った。
原作ではからくり人形のことはもちろん、おもちゃ全般についてもペダンチックに語られるわけだが、その中にメカニカルバンクの話題もあり、例えば、「政治家」という貯金箱については「大きな椅子に、でんと坐った政治家の像でね、矢張りこの掌の上に硬貨を乗せてやると、重みで腕が動いて、懐に作られた切れ目に、そろりと入れてしまう。政治家の無表情な顔が何とも言えずにおかしい」とあり、他にも「調教師」「道化師」「手品師」「アンクルトム」「リンカーン」などメカニカルバンクは数百種あると書いてある。
まあドラマ版『乱れからくり』にメカニカルバンクの話題は出なかったが、もしもそんなシーンがあって、その中に出演者である岸田森の「カンオケバンク」が混じっていたならば、それはどんなに素敵で面白かったことだろうと、そんなアナクロニズムな想像をして独りニヤニヤしてしまうのであった。

(*1)『怪談せむし男』1965/東映/監督:佐藤肇/脚本:高岩肇/せむし男:西村晃
屋敷の歪みを喝破し、それは人間の精神にも悪影響を与える、これは極端な例だが、家の歪みによって一家全員が狂い死にしたケースもある云々と精神病医の助手・江原真二郎は劇中で主張したりするのだが、この『怪談せむし男』に多用されている(『たたり』以上に外連味のある)ダッチアングルはもしやそれを意図したものなのか、家の歪みが住む者の精神を蝕むように、佐藤肇は映画の歪みでもって観る者を狂わせてやろうと。またそれら傾斜フレームに加えて、カメラは真上から真下から、いや全方位から、生贄たちを大胆かつ立体的な構図で捉えていて、ぐるぐると何か眩暈にも似た感覚を覚えたが(ちなみに登場人物は何度かくるくると回転をして倒れる)、現にこれらのことは少なからず観客に影響を与えたと思しくて、というのは、同席した某映画館の人の話によると、昨年映画館で『怪談せむし男』を上映した日、エレベーターの前で「下に行くには下ですか」と哲学者かと思うようなことを言ってくる奴や、「三階のトイレ使わせ下さい」と言って五階への階段を昇る奴とか、頭のおかしな奴、平衡感覚に異常をきたしたような人間が立て続けに現れたのである。これは嘘のような本当の話だ。
『怪談せむし男』は、雰囲気やムードから、アングルから構図から、脚本から、役者の演技から、行間から滲み出る”何か”から、なにもかもが歪んでいて、この謎、この破綻、この反整合性、そうだ私は「どこかしら歪んでいないものは、感銘をあたえない」とボードレールの言葉を百万回唱えよう。
佐藤肇の試みは、眼前に繰り広げられる「家」と「生贄」の関係を、そのまま「映画館」と「観客」に転化させようとしたことにある。映画館に呑み込まれた我々がそこを生きて出られたのは、まだ佐藤肇の実験が完成の途中だったからだろうが、しかし、その中にも確実に精神を蝕まれた者はいたのだと思う。
余談ではあるが、ラストの少女の炎上に涙する西村晃、重く聳え立つ屋敷に帰って行く逃れられぬ宿命を背負った西村晃の後ろ姿は、本邦のゴシックホラーでは屈指の名場面であろう。


(*2)旧古河邸(http://maskweb.jp/b_furukawa_0_1.html
ちなみに映画版『乱れからくり』でも旧古河邸が使われている。鈴木則文『華麗なる追跡』、小沼勝×神代辰巳『偽りの花嫁 私の父を奪らないで』などでも。