浪人街の白壁に伊藤雄之助の顔は長いと書きました〜『あき巣−ある泥棒の告白−』備忘録

アンテナにも入れている、神田小川町neoneo坐の「短編調査団」は面白い。と、エラソーなことを言ってみても、家から遠いこともあり、毎回毎回欠かさず行ってるわけでもなく、琴線に触れた映画が上映されるときだけ行く感じの俄ファン。大和屋竺がドラキュラという渾名(というより女子生徒の心のつぶやきだった気が)の社会科教師役で出演した内藤誠監督の『中学時代 受験にゆらぐ心』に、大和屋竺が監督した『発見への出発(たびだち)』(後述)と、”なんだ大和屋のときしか行っとらんやん!”と自らつっこみを入れたくなりますが、それでも大和屋関係以外でも思わぬ拾いものというのはあるものです。



『あき巣−ある泥棒の告白−』1967年/制作:朝日テレビニュース


「怪優・伊藤雄之助氏熱演のピカレスクロマンな防犯映画。年間300億円もの被害額に上る窃盗、平和な家庭生活に忍びよる黒い影、主人公に常習の侵入犯を置き、彼の体験を通して、具体的に最も効果的な予防対策を訴える」

監督・脚本は『ヤングオー!オー!日本のジョウシキでーす』が観てみたい東映の山崎大助(http://www.jmdb.ne.jp/person/p0145340.htm)で、主演は伊藤雄之助
伊藤雄之助が空き巣!?ほとんど反則に近い、このめちゃくちゃマッチしそうな組み合わせに心を鷲掴まれ、これは伊藤雄之助ファンで会場はごった返すぞと僕が思ったのも無理はない。現に、スクリーンに伊藤雄之助が登場したとき満席の会場が大いに湧いた。


まあそれはともかく、雄之助が空き巣だなんて、まさか鬼瓦権三よろしく雄之助の口の周りもヒゲで真っ黒だったら”ジョーダンじゃないよっ!”、山崎大助は馬鹿か天才だぞ、と内心思っていたら、登場した雄之助は紳士然というか普通の身なりの泥棒さんだった。


怪優と呼ばれる伊藤雄之助の怪演は開巻早々に出てきた。捕まった雄之助が護送車で運ばれるシークエンス、外から「聖者の行進」が流れてくるのだが、この曲を聴くだに急に白目をむいて鼻歌まじりにリズムをとりだす雄之助(会場ではここで笑いを堪え切れなかった人が結構いた)、確かにこの雄之助の顔はやばい!雄之助がリズムをとるたび、隣に座っていた同業者の長谷川弘(!)に体が当たり、強面の長谷川弘は不快感を表し雄之助の顔を見遣るのだが、白目をむいてにやにやしている雄之助のその気味の悪さに結局なにも言えず押し黙るという。


にしても、護送車で運ばれる伊藤雄之助と長谷川弘の並びを見ていると、まるで東宝映画でも見てるような錯覚に陥る。しかも雄之助が過敏に反応しはじめるその曲が「聖者の行進」なのも凄い。これはおそらく偶然の選曲ではなく、1965年の東宝映画『血と砂』(監督岡本喜八)を少なからず狙ったものに違いないと勝手に思っている。ちなみに下の画像は『血と砂』で「聖者の行進」を聴きながらリズムをとる伊藤雄之助(『あき巣』ではもっと白目をむいて気味が悪い)、雄之助が「聖者の行進」を聴くと体がうずくのは、おそらくこのときの刷り込みに由来しているのだろう。だから戦死した葬儀屋が転生して空き巣になっても「聖者の行進」には反応するのだろうし、もっと言えば「血と砂(titosuna)」のアナグラムが「空き巣なる存在(ontak(t)isu)」となるのは暗示的である(*1)。


開巻早々に雄之助が捕まっているのは、検事(?)の前で過去の盗みを告白し、その回想によって空き巣の手口を我々に教えるという構成だから。なんせこれ東京防犯協会連合会による防犯PR映画なので。
隣人に関心を持たない個人主義の世の中は泥棒にとって住みやすいこと頻りに繰り返すんですが、ともかく雄之助の盗みの手際はさすがこの道25年のベテランというところで、仕事は5分もあればすんでしまうんだそうだ。
その回想で特に面白かったのは、雄之助が空き巣に入ると女の留守番がいて、普通ならばやめるところだが、女があまりにテレビドラマに夢中になってるものだから、隣の部屋で泥棒を働くというシークエンス。雄之助が箪笥を物色していると、後ろの障子が開いて、女がドラマを見ながら後ろ向きで雄之助の方に近づいてくる。見つかったらお終いなので固まる雄之助。女はついには雄之助の真横まで来るが、それでもテレビに夢中で隣の雄之助には全く気づかず、戸棚を開けお菓子を持って元の部屋に戻ってしまう。とてもユーモラスに描かれたエピソードだった。
あとユーモラスで可笑しかったのは防犯ベルで腰を抜かす雄之助とか、同業者の長谷川弘に泥棒に入られ地団駄を踏み悔しがる雄之助とか、その屈辱の事件後、泥棒なのに防犯をばっちりして今度は長谷川弘を撃退するとか、等々。


そして、ついにこの映画最大の山場がやってくる。雄之助が空き巣に入るところを目撃する少年が登場するのである。少年は近所の防犯所に飛び込み、誰々さん宅に泥棒が入ってることを告げる。そのとき大人に”どんなやつだ?”と執拗に空き巣のことを聞かれるのだが、少年は”普通の人”と言うばかりであまり要領を得ない。”なにか他に特徴はないのか?”という問いかけに、うーんと少し考え込む少年。この瞬間、neoneo坐にいた全員が、少年が”泥棒は顔が長かった!”と答えるに違いないと思ったはずだ、その少年の一言に対する期待感で暗黙のうちに全員の心が一つになっていたはずだった。
だがしかーし!!!
ここで少年が言った一言は”レインコートを着ていた”なのであった…。おいおいおいおいおいおいおいおいおーい!!!!どー考えても、あの泥棒の特徴ったら顔が長いだろーがっ!!!!!まったく頼むぜ、山崎よー!!!!(もう呼び捨てだ、おまえなんか!)


この件に関して、隣席の女性に”あそこで絶対言うよなー”と言ったら、その女性は”浪人街の白壁に伊藤雄之助の顔は長いと書きました”とさすがの一言、激しく同意し、二人で本当にがっかりしてしまった。いや、あの場にいた全員が、あの少年の心ない一言でがっかりしたはずなのだ。



(*1)  まあ読めばわかる通りテキトーなアナグラム。ウソとは言わない、ただの遊び。”titosuna”の中にはどうしても”k”がないので”t”で代用。”ontakisu”とする。頭の”ont”は「存在」を意味する連結語”onto”の異形で、母音の前でこうなる。それに”akisu”を無理矢理くっつけただけのこと。へびあしだが”ont”は”not”と並び替えることもでき、すると”not akisu”となって空き巣じゃなくなってしまう。