黒の舟唄〜『喜劇 特出しヒモ天国』から大和屋竺まで

『喜劇 特出しヒモ天国』ネタでまだひっぱりますが、この映画の中で個人的に特にポイント高かったのが、ド琴線に触れたのが、やはり芹明香の歌う野坂昭如の「黒の舟唄」でありました。
”男と女のあいだには 深くて暗い河がある”
男と女の絶望的な断絶、宿命、業を歌った、まさに深〜い悲喜劇的名歌であります(二番は「堕胎」の歌)。もちろん”ロー(row)”とは、男と女の”あれ”のことでしょう。葬式の場で、うだつのあがらぬ老ヒモだった藤原釜足が好きだったこの歌を鎮魂歌として呟くように歌い出す芹明香には本当に涙しましたが、ストリッパーとそのヒモ、それがこの映画での男と女でした。


それはそれとして、芹明香の歌といえば、元は神代辰巳『濡れた欲情 特出し21人』で芹明香が歌った梶芽衣子の「怨み節」、その歌声に僕はひどくやられた口なのですが、『特出しヒモ天国』での野坂昭如の「黒の舟唄」、そのときの明香節も、前者に負けず劣らず、素晴らしく聴かせてくれる魅力、哀愁でありました。芹明香はいい歌い手だと思います。
例えば「大和屋竺哀歌集」や「神代辰巳猥歌集」と並んで、常々あったらいいのになぁと言ってきたのが「芹明香名歌集」なのですが、もしもそんなレコード(?)が発売される企画などがあれば、『特出し21人』の「怨み節」、『特出しヒモ天国』の「黒の舟唄」、『赤線玉の井 ぬけられます』での「花嫁人形」、『実録おんな鑑別所 性地獄』での「煉獄数え歌(仮)」なども、全くフルコーラスではない憾みはあるものの、是非入れていただきたいものだと夢のようなことを思ったり(他に芹が歌ってるロマポとかってありませんか?)。


余談ではあるけれど、「黒の舟唄」というのは本当にいい詩、名曲でありまして、僕がすぐに思い出せる限りでは根岸吉太郎の『濡れた週末』での宮下順子も歌っていました。ここでの男と女の関係は愛人・不倫です。順子さんは三十女、妻子ある自分の会社の社長とそういう関係なのですが、別れようにもそこは男と女、なかなか別れられずに揺れます。そんな中で、全編通じて順子さんがポイントポイントで口ずさむのが「黒の舟唄」で、始めの鼻歌から始まって、歩きながら、佇みながらと、その歌声もまた男と女の物悲しい業を体現したかのような調べを奏で、それはそれで芹明香とはまた違う素敵さなのでありました。


また藤井克彦の『必殺色仕掛け』では、ファックシーンのバックに流れるのが野坂昭如が歌う「黒の舟唄」で、それに合わせて、市川亜矢子、牧れい子、叶今日子、薊千露(けいちろ)、島村謙次、木夏衛(榎木兵衛)、浜口竜哉、丹古母鬼馬二らがコーラスしたりもします。この映画は男と女のセックス対決をコミカルに描いたもので、前の二作品とは違ってさほど影がありません。ちなみにこの映画、ラストの大団円で流れるのがやはり野坂の「マリリン・モンロー・ノー・リターン」という、ほんとヘンテコな、ロマポの中でも屈指の怪作であると思われます。(*1)


そして劇中歌ではないけれど、嗚呼、大和屋竺が歌った「黒の舟唄」も雰囲気あって良かったんだろうなぁ、と想像する。(*2)


「黒の舟唄」だけに限らず、野坂昭如の歌を使ってる映画は数多あると思われますが、この日記は「黒の舟唄」を取り上げていますから、”他にも何かなかったかなぁ”と考えていたところ、ふとあるビデオのことを思い出し、部屋のビデオ山を掻き分け探しました。すなわち、野坂昭如監督作品『幻の女 ファントムレディ』(*3)。
この中に「黒の舟唄」が流れていたか記憶が定かでなかったので、まあ30分ほどのビデオですし確認の意味も込めて始めから終わりまで鑑賞しました。その結果としては、挿入歌として使われたのは全て野坂の歌う歌で、いちいちタイトルを書き出すと、
戸川純もカバーした”じんじんじんじん血がじんじん”「ヴァージン・ブルース」
”あなたはラブリーなのでーす”「黒の子守唄」
寅さんの三つの坂が”上り坂・下り坂・まさか”なら、こちらは男坂・女坂・ぼく野坂”(!)の「男坂・女坂」
”春は夏に犯されて 夏は秋に殺されて 秋は一人でおいぼれて 冬がみんなを埋める”と名詞「花ざかりの森」
”かもめ かもめ さよならかもね”「かもめの3/4」
”男も女もおんじょろよ とんびがくるりと輪を描いた”「おんじょろ節」
で、ここまで野坂ワンマンショーなのに、不思議と「黒の舟唄」は歌われていなかったのでありました。残念。
”野”放的な歌心が”坂”をころげ”昭”かに地を揺るがせるが”如”し
CD帯の文句らしいですが、野坂はとてもよいですな。とまあ雑記まで。



(*1) 「必殺色仕掛け」
藤井克彦のイメージが見事に覆された怪作。スラップスティックな要素を前面に押し出した女侠客映画の傑作、いや凡作? 面白い!ひどい!と賛否両論わかれることは必至、しかし、このなんでもかんでもぶち込んでやれ的なごっちゃ煮感、これでもかこれでもかと不自然な演出をつけ続けるサービス精神、いやあお腹いっぱい、まいりました。
簡単なあらすじとしては、ある女郎屋の三枚看板をなんとか奪い取ろうと目論むやくざの親分丹古母鬼馬二、そこでなんちゃら三兄弟という色道の刺客をはなつ、”俵締め””みみず千匹””かずのこ天井”という通り名をもった女郎三人娘は、結局セックス勝負で色道三兄弟に次々と負け、彼らに吸収されていくことになるのだが、そこで最後に立ち上がり、セックス勝負の殴り込みに一人で行くのが、その女郎屋にわらじを脱いでいた女侠客の二條朱実、色道三兄弟との勝負の行方は…。
もう”筋だけ”は藤純子東映女侠客ものの亜流で、また、例えばこの手のセックス勝負の映画となると、すぐに思い出される代表的なものが1972年のまたまた東映映画だが鈴木則文監督の『温泉スッポン芸者』で、こちらも名和宏演じる性の達人”竿師段平”が、温泉町の芸者たちをそのセックス技で骨抜きにし、どんどん引き抜いていくのを、最後すっぽんおまんこを持つ杉本美樹が乗り込んで、そのセックス勝負において段平を打ち負かすというのにも似ている。
とにかく『必殺色仕掛け』は鈴木則文以上のスラップスティックさで(戦前無声映画のパロディやったり)、そのいちいちについてとても説明しきれないほど盛りだくさんの内容。機会があれば、その目で直に確かめてもらいたい。
主演の二條朱実(タイプ)がいいんだ。仁義を切るのも見られるぜ。また三女郎の一人だった牧れい子も、”アホかワレわー!”とちょっと嗄れた関西弁で男を蹴飛ばすやさぐれ女、いい女。



(*2) 「一角座・荒野のダッチワイフ(※トークの内容を加筆した)」
2007/7/21の一角座のトークショーは正直ヒジョーに悔しい思いをした。まあ僕はこの日に行った知人に具体的なトーク内容をいくつか教えてもらったのだけど、ほとんど未知の映画である大和屋竺1958年のデビュー作『一・〇五二』、確かにこの20分の白黒映画がどんな内容、映像、表現であったのかは、監督である大和屋竺自身の解説(『キネマ旬報』1980年2月上旬号)や、早大シナ研の大和屋さんが見せに来てくれたので観たという日大映研の足立正生の言葉(『映画芸術』1993年夏号)、ついでに早大シナ研先輩の山崎忠昭『日活アクション無頼帖』などから、その概要をわずかばかりうかがい知ることができるが、詳細な部分に関しては『一・〇五二』の制作者の一人であったトークゲスト河内紀の言動、又聞きでも”ウオッ!”となった内容に譲らなければならず(例えば、血液バンクで穴を開けた段ボールの中からカメラを覗かず撮影したフィルムには、風船を持ってふらふらしている美しい青年が映っていたりして、このとき河内紀はドキュメンタリーが脚本を超えたと感じたとか、河内が担当した音楽のこと等々)、そういう意味で7/21のトークがいまのところ一番貴重なものだった気がしてならない(他の日のぐだぐだトークが悪いとは一言も言っていない)、これは決して隣の芝生の話しではなくて、マジだ。
前置きが長くなったが、何が飛び出るかわからぬ今回の一角座のトークライブ(荒戸さんは田中陽造トークに出させたいみたいだし、もしかして実現あるかも?)、後悔を二度繰り返してはならぬ!と、7/28は『荒野のダッチワイフ』のトークに行ったというわけ。


一角座で観る『荒野のダッチワイフ』は凄かった。35ミリのシネスコで、スタンダードにトリミングされていて重要なところが切れているDVDとは全くの別物と考えた方がいい。画から受ける印象がまるで違う。DVD等の版ではカットされている、開巻の炎に包まれる「国映」マークや、次のドーンと出る「大和屋プロダクション」(!)の文字に感涙(『荒野のダッチワイフ』は大和屋プロただ一本の映画)。シネスコの画面いっぱいに出るタイトルもよい、あれではDVD等のトリミング版では切れてしまう、だから差し替えられていたのか。また最後にもDVD等版ではカットされている部分があって、映画館で時間確認のため携帯を開くわけにもいかないのであくまで感覚的にだが、それは時間にして3分ぐらいの山下洋輔クァルテットによる狂暴な音楽、スクリーンには何も映らないので場内は真っ暗、そんな中、大音量でしばらくのあいだ山下洋輔の音楽を叩き付けられるのだから、これは物凄くいい、例えDVDにこの部分が収録されていたとしても劇場でなければこの高揚感と興奮は得られないだろうので、カットされてても特に問題はないのか。
余談だが、『荒野のダッチワイフ』について、平岡正明相倉久人が、あれはビアズの『アウルクリーク橋』だろうか、『ドグラ・マグラ』だろうかと議論しているとき、大和屋自身は「風太郎忍法なんですがね」とケロっと言ってのけたというエピソードは可笑しい。


トークは、ホストに荒戸源次郎、ゲストに菊池成孔、飛び入りに秋山道男菊池成孔は前日に山下洋輔に電話をかけて、『荒野のダッチワイフ』の音楽について聞き、それを開陳していたが、実際それは『映画芸術』1993年夏号など読めば、山下洋輔自身が書いてることだった。

「大事なハジキに油を注さないで行っちゃいやだよ。弾丸が出なくなったら、私やどうすれば良いのさ。毎晩男をくわえこまなきゃなんないよ。だからあんた。手入れを忘れちゃ駄目だよ。」

シーンナンバー36、娼婦の美那の台詞だが、前述誌の山下洋輔曰く、この台詞(歌詞)に曲をつけろと大和屋監督に命令されたという。この歌詞大和屋竺、作曲山下洋輔の鼻歌を歌ったのが山下洋輔の奥さんで、これは自宅録音であった。そしてこの鼻歌を元にあらためて作り直したのが「ミナのセカンドテーマ」ということだ。
他、トークでは『荒野のダッチワイフ』の音楽は、ラッシュも観ずに山下洋輔らが演奏したものを、音楽監修の相倉久人がそれぞれの画面にあてはめる方法をとったと言っていたが、まあこれも前述誌に書いてある。もっと言えば、山下洋輔は台本も何も見ずに演奏したという。


この日のトーク秋山道男がもっとも僕の琴線に触れることを言っていた。それは二つ、まず、例えば大和屋竺『悪魔に委ねよ』にも「秋山ミチヲくんのギター演奏で「殺しの烙印の歌」を歌う」という記述があったりするので、”「殺しのブルース」歌ってくださいって言ったら、ほんとに歌ってくれるんですよ”という秋山道男の話しにはそれほど驚かなかったけれど、大和屋竺は「黒の舟唄」なんかも歌ってくれたという話しは、まったく知らなかったし、これは嬉しい吃驚で心の中で快哉を叫んだ。


男と女の間には 深くて暗い川がある
誰も渡れぬ川なれど エンヤコラ今夜も舟を出す
ローエンドロー ローエンドロー
振り返るな ロー ロー


言うまでもなく野坂昭如である。いい歌である。嗚呼、大和屋竺も歌っていたとは…。これは想像するだに物凄いぞ。奇跡的に音源など発掘されれば(などと妄想してみるが)、『大和屋竺哀歌集』のCDでも出す際、「殺しのブルース」 「酔っぱらいのブルース」 「あたごん山(仮)」 「光れ光れ腰のだんびら(仮)」 「星のテーマ(仮)」 「ミナのファーストテーマ?(歌:山下洋輔奥さん)」と共に、大和屋バージョン「黒の舟唄」も収録してもらいたいと思うのは、まあファンとして当然の人情であろう。


秋山道男による二つ目の、荒戸源次郎も”それは初めて聞いた”と言った琴線話は、大和屋竺の喧嘩作法。なんでも大和屋は子供の頃、喧嘩のときは指のあいだに薔薇の棘(!)をはさんで拳を作ったというのだ。もう子供のときから大和屋的美学を体現しているかのようなこの感動的なエピソード、秋山道男曰く、”怪奇少年(笑)”。少年が作る薔薇の棘の拳など素晴らしい悪魔のがわのイメージではないか。ちなみに『キネマ旬報』1980年2月上旬号の大和屋のインタビュー記事に、子供のときは「喧嘩も強く、二、三回やっただけだったが、すべて勝った」という記述があるのだけど、秋山道男のこの話し聞いて思ったのは、まあそりゃそうだろ、と(笑)



(*3) 「幻の女 ファントムレディ」
次回に続く。