あなたと私の合言葉さようならピンクスクール、ありがとうピンクスクール

3/20、一ヶ月弱という短い開催期間ながらも濃密だったイメフォのピンクスクールの最終日(と言っても坂がしんどくて大して通わなかったが)に、小水一男『ラビットセックス 女子大生集団暴行事件』と福岡芳穂『制服監禁暴行』を観た。


すでにうろ覚えに等しいのだが、目当てだった『ラビットセックス 女子大生集団暴行事件』は若者たちの無軌道っぷりがアナーキー&パンクな青春ムービー(?)だった。

ヒロイン朝霧友香は団地の屋上でケイと名乗る浪人生と邂逅し、ひとことふたこと言葉を交わし、そのまま性器も交わしてしまう。青カンしてるところを団地のババアに見つけられ注意された二人は、佐野和宏率いるアナーキー軍団に復讐の手伝いをして欲しいと接触する。彼らは団地のババアを輪姦した後、車を盗み、海へ。その車がガス欠で動かなくなったので、そこに通りかかった車を強奪、運転していたジジイをふとしたことで殺してしまうが、しかし彼らは気にしない。楽しくやろうぜと、車を飛ばしてそのままどこかに走り去るのだった。

あらすじはこんな感じなのだが、冒頭に不良グループの後ろに貼られた『狂い咲きサンダーロード』のポスターが象徴するように、全編パンキッシュに若者たちの反逆を描いている。
彼らの敵は大人である。この映画に出てくる大人たちは決まって、(娘とのコミュニケーションよりも)金に執着していたり、社会性や秩序を重んじてるように見せる偽善者である。一方、ここでの子供たちは元よりそんなものに縛られてないならず者であって、一見無軌道でめちゃくちゃであるが、監督の筆致はそれを純粋で美しいものとして描いてるような向きがあって、その象徴的な例が、保坂和志演じるところの少し頭の足りない不良少年だろう。彼の奇声(それに伴うキチガイの動き)や、まだ薄暗いなか波打ち際のジープで乳繰り合ってる男女の周りで不協和音のように歌う「雨上がりの夜空に」など、そのまるで無垢な詩情に心ならずも感動してしまうのは一体何故か。

外人の曲は全くわからないが、この映画は全編、常にと言ってもいいぐらい様々な音楽が使われていて、例えば、団地のババアを輪姦するシーンではアナーキーが「団地のオバサン」をタモリ倶楽部的に絶叫し、そこにさらに誰が歌ってるのか知らないけどパンク風な「ザ・ヒットパレードのテーマ」(ヒッパレーヒッパレーキンタマヒッパレー♪に聞こえたのだが…違うか)が重なる。確か性交場面かと思ったが、RCサクセションのE!E!E!「キモちE」もかかり、若者たち反逆の図も相俟って、アナーキーな部分ばかりが目立つ感もあるが、小水一男ならではの詩情も見逃せない。

前述の保坂和志のシーンもそうだが、大体にして朝霧友香とケイと名乗る青年が初めて出逢うのも「雨の降る屋上」であり(小水脚本『ゆけゆけ二度目の処女』を想起してしまった)、女のなにしてるのの問いかけに、”雨見てたんだよ”と答える男などなにやら抒情的ではないか。ちなみに輪姦されて屋上に失意のまま一人取り残された団地のババアの上にも雨をそぼ降らせていて心憎い。

タイトルバックのクレジット表記も凝っていて、例えば『マル秘女郎責め地獄』が石畳に直接それを書いたように、ガードレールだとか、ナイフだとか、靴の裏だとか、その他さまざまなものに書かれた。しかも『女郎責め地獄』の場合と違って、こちらは文字の字体もサイズも色もバラバラで統一感がなく、この無秩序なクレジット表記(かっこいい)からして、すでに映画の内容を暗示していた。

しかしクレジット表記以上に、この映画でめちゃくちゃなのは映画文法的説明なしに、過去と現在が行ったり来たりするその時間構成だろう。観る前はまさかこんなめちゃくちゃだとは思いもよらなかったので油断して冒頭を見落としたが、試みに映画のシークエンスの流れを順に列記すると、まずその冒頭の【1】不良グループが新宿コマ前でたむろしている、するとシーンは【2】若者らが車で暴走(逆走!危ないよ!)に変わり、【3】朝霧友香一家のシークエンス、【4】ジジイと論争(?)する不良グループ、【5】朝霧とケイの屋上での邂逅→団地ババアに逆恨み→佐野和宏ら不良グループと行動を共にし海へ、【6】ジジイの車強奪・ジジイいたぶり・殺害、となる。
うーむ、説明がめんどくさくなってきたが、【2】と【4】は【6】の時間の中に含まれたエピソードであり、映画が進むにつれて、やっと時間が【2】と【4】に追いつくという構成。だから一見【1】から【2】の流れは(ジャンプカット気味ではあるけど)連続している時間に見えるが、実際は非連続。油断していて今となっては判別つかないけど、朝霧の有無で【1】は【6】の後の場合もあるのではないかと考えてしまう。って、ほんとどーでもいいことだが(つくづくつまらん…)。

映画の最後、いままでアナーキーに身を委ねることに消極的だった浪人生のケイだったが(”車を盗むと罪が重いよ”とか心配したり)、強奪した車のジジイが医者であり、その息子はどうせ金で裏口入学してるという思い込みから、急にジジイに対して陰険になり、結局最後はジジイを崖から落として殺してしまう(ババアは犯して、ジジイは殺せ!女子高生は暴行する側だった!)。しかしそんなことは意に介さず若者たちはさらに無軌道に生きるべく車で走り去るのだが、カメラは高所からその車の行方を追い、そのあとすぐ横にパンするのだが、そのとき映される道路標示のラストカットがベタだ。「Uターン禁止」。彼らはもう後戻りできないのだそうだ。


二本目の『制服監禁暴行』は、主人公が下元史朗だからそのはずしっぷりが絶妙で面白いんだけど、他の役者だと確実に寒々しくなると思った。ただ堺勝朗の「狂い咲きサンダーロード」っぷりには爆笑。さすが!下元史朗はこの映画で一度もサングラスを外さなかったなぁ。寝るときも。耳当てとかさ、「傷だらけの天使」のパロディでしょー。秋本ちえみと萩尾なおみも良かった。それだけ。



ピンクスクールで見たの数えたら20本(初見15本)。結局半分以下で、会員になる意味あったのか…という疑問も残った。


1.荒野のダッチワイフ
2.濡れ牡丹 五悪人暴行篇
3.ブルーフィルムの女
4.マル秘湯の町 夜のひとで
5.歓びの喘ぎ 処女を襲う
6.特殊三角関係
7.ラビットセックス 女子大生集団暴行事件
8.痴漢電車 下着検札
9.地獄のローパー
10.ねらわれた学園 制服を襲う
11.制服監禁暴行
12.愛奴人形 い・か・せ・て
13.菊池エリ 巨乳
14.アブノーマル 陰虐
15.痴漢電車 さわってビックリ!
16.白衣と人妻 したがる兄嫁
17.味見したい人妻たち
18.痴漢電車 びんかん指先案内人
19.超いんらん やればやるほどいい気持ち
20.わいせつステージ 何度もつっこんで


<極私的初見ベスト4>
9・10・13・14


14『アブノーマル 陰虐』を観て、”時代は佐藤寿保だな!”と思って都内のレンタル屋でビデオを借りまくっているが、とりあえず今は何も言えない。10ねらわれた学園 制服を襲う』と13『菊池エリ 巨乳』は前にちょっと触れた気がするのでパス。


9『地獄のローパー』は個人的には今回観た中で一番ヒットした。僕が観た回には下元史朗さんも御自身の”地獄のローパー”っぷりを鑑賞しに来たらしく、それを見てクスクスと忍び笑いをしていたそうだ!
確かに『地獄のローパーは本当に面白すぎた。一体どこから書き出して行ったらよいのかわからぬが、とりあえず下元史朗演じる地獄のローパーがカッコよすぎ!!!!
この悪魔のサディストはロープを投げただけでどんな女でも瞬時に緊縛&調教する超絶美技の持ち主で、例えば股間に繋がったロープを張ってピンとはじくと女は即昇天する。
だいたいにしてロープをピンとはじくと逝くというのはお茶の間を風靡した「必殺仕事人」三味線屋勇次(!)のパロディなんだが、例えば池島ゆたかはSM倶楽部を経営してるけど、でもそれ実は表の稼業で、裏では地獄のローパーを抱える、「必殺仕事人」でいうならば元締めみたいなもん(貫禄はナッシング!)をやってる。その観察眼で女に怨みを持つ客を見極め、裏の仕事の営業し依頼を受ける。ここでいう「裏の仕事」とは殺しなどではなく依頼人が憎む女の調教、SMでいうところの馴致の段階はすっ飛ばして隷属させてしまう。マカロニウェスタン調の音楽、仕事(女との対決)へ出掛ける前に燭台の蝋燭の火をふっと吹き消す動作とかも必殺シリーズを意識している。
またこれは西部劇をやってもいて、ローパーはガンマンが拳銃を抜くようにホルダーから縄を抜くとか、その辺の日本の住宅地での決闘が何故か西部劇風の田舎町でのそれに見えるとか(ヒューと風が吹くS.E.)、夕陽を背にして決闘に向かう地獄のローパーのショットとか超かっちょええ!!!!
ホモの外波山文明の依頼で、「ボンバーズ」という女暴走族にさらわれた恋人の美少年を助けに行くローパー。またそのボンバーズのアジトまでの道のりが険しいこと!森の中で野宿しながらやっと辿り着くって一体ニッポンのどこですか!そしてアジトまで着くと、”ここからは俺一人で行く”とローパー一人で乗り込む、ランボーのようにゲリラ的に一人一人縄にかけていくのだが、と言ってもボンバーズのメンバーは4人しかいなくて、それやるのは最初の一人だけなんだが。二人目に使った縄技などは実相寺昭雄『屋根裏の散歩者』よりも早い、蜘蛛の巣のように張った縄に捕らわれるブー女。ボンバーズのリーダー真知子は拳銃を一発二発三発とローパーに向かって撃つが全然当たらず、蜘蛛の巣の縄に当たって縄が一本ずつ切れていく。その蜘蛛の巣は縄が一本切れるごとにブー女を体を締め付ける仕掛けになっていて、”あと一本切ったら、この女は落ちるぞ(イクぞ)”と言ったところで仲間を見殺しにはできないと真知子は拳銃をおろすのだが、そこでローパーは”そうじゃない、おまえはこのブー女に嫉妬してるんだ”と真知子の心の奥底を喝破する。
なんだかいちいちこんなこと書いてると埒があかないので(めんどくさくなってきたので)端折って書くと、このあと負けたままじゃいられないと言う真知子と決闘になるが、難無くローパーが真知子を縄で撃破、真知子はローパーを愛していると言い出すが、ローパーはクールに”おまえは俺じゃなくて縄を愛しているんだ””俺は博愛のサディストだから一人の女のものにはならない”と返す。とぼとぼ帰る真知子、それを急に追い掛けるローパー、橋の上で「マチコ巻き」にしている真知子に向かって”君の縄”と縄を差し出すとき、バックには織井茂子が歌う「君の名は」!!!!この往年の名作のパロディで会場はどっと沸いた!!!!このタモリ倶楽部的な音楽の重ね、駄洒落をやりたいためだけにボンバーズのヘッドの名前を「真知子」にしたのか!とめちゃくちゃ感心した。まさに滑り知らずの片岡ギャグ!!!!
最後は何故かナチス風の特攻服で決めている早乙女宏美との対決(裸サスペンダーならシャーロット・ランプリングだったのに!)。この映画、シナリオ題に『地獄のローパー2』とあるように、どうも1があったようで、早乙女の言によるとローパーの目を潰したのは彼女みたいなのだ(嗚呼、1が激しく観たい!)。戦いはローパー危うし!でも心眼、それを博愛の精神と言い直してもいいが、それによって早乙女を縄で捕らえる!そしてこの映画の最大の見せ場のクレーン吊り!!!!この女の宙づり(またその後の吊されながらのセックス)が薄暮に映えてなんと美しいことよ!感動した!!!!しっかし、ローパーが決闘場にクレーン車で乗りつけるとこなんざカッコよくて、またこのあと観た『味見したい人妻たち』が映画の中に常に含みを持たせてそれを丁寧に拾って行く運びになってたのに反して、なんなんだこの超唐突ぶりは!!!!(というか全編「唐突」の連続だ!)と心が震えた。
と、とりあえず思いつくまま『地獄のローパー』について書いてみたが、全然ダメだ。これほど面白いことが書けそうな素材(映画)を前にしながら、自分の書いてることが全然面白くなくて落ち込む。これではせっかくいい脚本を得てもそれをうまく料理できないダメ監督みたいなもんだ(違うか)。まったく残念です。でも映画は本当に本当に面白いので機会があったら観てみてください。



地獄のローパーの後に観た『味見したい人妻たち』はいまだ咀嚼できていないが、常に含みを持たせるカットが印象的だったように思う。
ファーストシーンの美術室、結婚のため学校を辞めるという女教師の視線が落ち着く先にはきれいな顔した男子生徒がいて、これでこの二人がこのあとどうにかなるというのは当たり前すぎるほど当たり前なわけだが、「一年後」というスーパーのあと、人妻になったヒロインはクロスワードパズルをやっている。「オシドリフウフ」とマスを埋めたあと鉛筆の芯がポキッと折れる。この開巻で”ああ、夫婦生活はうまく行ってないんだ”と匂わし、旦那が出張すると言えば”ああ、この旦那、他に女いるな”と思い、旦那がはちみつを出張に持ってこうとするとこでは”ああ、プレイに使うんだな”と思い、人妻が犬に枯れ葉を食わせたり、人妻のどことなく満たされてないような表情を見るにつけ、”いつ不倫相手の女が出てくるんだろうなぁ”なんて思っていたら、そんな事態にはいっかなならず(回想シーンでついに来たか!とさえ思った)、むしろ夫婦の仲は良くて意表を突かれた。でもそこにはやっぱり何かに満たされてないような人妻がいたが。
含みだけ提示しておいてその後を拾って行かないと僕みたいに勘違いしてしまう輩がいるためだかどうかは知らぬが、いちいち含みの説明がなされるような気がした。美術室での視線から始まり、例えば「トルコ行進曲」がたどたどしくなれば隣のカップルはセックスを始めてるのだし、犬に対する行いは男子生徒を飼う行為に繋がり、片耳が聞こえないという告白は内緒話に繋がり、隣のカップルを使ったオフレコ遊びは後に男子生徒の心象を代弁させる含み・仕掛けになってるんだし、ラリって何かに対して気持ち悪いと言った瞬間に部屋を出ればそれは妊娠なのだが後にちゃんと説明し、しかもそこでははちみつが固まるというのが現れる。美術の時間、男子生徒が女教師の裸を想像しておっぱいを大きめにして描いたというのもラストの押し入れのそれに繋がるといった具合に。
と、こんなことを書いてみても、映画がわかったことにはなんにもならないが、ようするに僕はこの映画がよくわかってないのだ(エロの部分はわかるけど)。押し入れの中の男子生徒の描いた人妻の絵が、学校で描いたものとは違って、首から上だけ(つまり顔だけ)だったところに注目したいが、考えはまとまっていない。にしても最後の「トルコ行進曲」はサーモンの彼女が弾いていたたどたどしいピアノのリズムとは違って実に清々しく、人妻の心象にぴったりのような気がした。