僕たちの失敗(前篇)〜内田高子トークショー回想録

migime2009-04-04


3月14日、この日はラピュタ阿佐ヶ谷のレイト上映「60年代まぼろしの官能女優たち」の初日で、トークゲストは『淫紋』の主演女優である内田高子さんだった。


前日までは、朝一とは言わないまでもお昼ぐらいにラピュタで夜のチケットを買い、シネマヴェーラで『アレクサンダー大王』を観て、再びラピュタに舞い戻る予定を立てていたが、常に原チャ移動の僕としては雨が降っているというだけですぐにそれが狂う。
結局雨は15時ぐらいまでやまなかったので家を出ることができず、予定変更を余儀なくされた。結局目黒図書館でCDを借りたあと、図書館の近くを走る環七を北上、渋谷に寄って友人と少し談笑したのち、さらに環七を北上、青梅街道を西へ、ラピュタ到着。


この日レイトで掛かる向井寛の『淫紋』、正直に言えば、若者達でごった返すかと思われたピンクスクールでさえあんな空いてる状態なのに、この明らかに地味な『淫紋』に一体どれだけ人が集まるというのだ、いやぜってえ来ねえなと高を括っていたのがそもそもの間違い。いや映画がどうこう言うよりも内田高子の集客力が凄いと言った方が正しいか。とにかく僕は見誤ったのだ。上映1時間ちょい前に着いたにもかかわらず、すでに補助席との宣告。うそーん!補助席やだー!
”まあ入れるだけいいですよね…”と自分への言い聞かせの意味もあるのだが、チケット売りのラピュタボーイに同意を求めるように話しかける。


失意のなかロビーでぼんやりしていると、久保新二がロビーに登場!位置関係が離れていたので話してる内容などは聞こえなかったが、見た目はかなりダンディ。その輪の中で話してる異形の男が気になる。「60年代まぼろしの官能女優たち」の企画には(ラピュタにも山口清一郎に特化した著書『日活ロマンポルノ異聞』が置いてあったが)鈴木義昭が絡んでいると人から聴いていたので、そうじゃないかと思ったらやっぱりそうだった。この人の著書『ピンク映画水滸伝』はひどく面白く愛読している。ちなみに(僕はメイさんからも直々に貰ったが、と少し自慢を入れつつ)2007年8月号の「創」に掲載された「日活ロマンポルノ再発見」の記事もこの人。


『淫紋』上映開始。内田高子主演、監督は内田さんの旦那である向井寛。内容は、「子供を産むだけの道具」として封建的な旧家に嫁いだ(売り渡された)内田高子が、夫への献身、姑との確執、夫の弟(久保新二)による強姦、妊娠を経て、「女」として自己確立していく文芸物。1967年の映画だが、同年代のピンク映画に比べても明らかに裸の露出が少なく(おっぱい担当は一星ケミのみ)、また金沢の美しいロケーションを最大限に活かした画面の格調高い構図などを見るにつけ、なんだかもっと古い五社の映画のような錯覚がした。映画として面白いか面白くないかはまた別の話。ただ久保新二が内田高子を外で強姦するシーンは構図も演出もキレていて美しかった。


上映終了後のトークショー、もう一度声を大にして言うが”『淫紋』なんて地味な映画、誰も観に来ないだろう。そんなには混むわけはない”と高を括っていたのは大きな間違いで、内田高子さんの集客力たるや驚愕の一言、補助席どころか通路に座布団をひいて座る人々まで現れて、会場の空気が薄く感じられるほどの超満員。
司会進行の鈴木義昭氏にうながされて、楚々とした雰囲気で内田さんが登壇すると、会場は割れんばかりの大拍手。観客の中には、よほど内田さんの上品な雰囲気とは似つかわしくない指笛を”ピュー!ピュー!ピューゥ!”と吹き鳴らすあまり品のよろしくない輩がいて、”おいおい、そりゃねーだろ…”と内心思っていたのだが。


それはともかく、40年ぶりに「内田高子」として表舞台に立った御年66歳の内田さんは、一見してすぐさま素敵な歳の取り方をしたことが窺い知れる品性があり、そうかと思えば、ひとたび喋ればこれが実に溌剌としていて、ときにユーモア、ときに天然ボケ(*1)などを交えるお茶目な一面も見せ、会場を終始和やかな雰囲気にさせていた。
お歳は召されていても、かつての美貌の片鱗はまだなお健在。ちなみに内田さんは、1962年のイタリア映画『セクシーの夜』の公開にちなんで催されたネグリジェ・コンテストで1位になり、東芝レコードより”ネグリジェ歌手”としてデビューした経歴を持ち、ピンク女優時代は”ピンク界のソフィア・ローレン”と呼ばれていたのだ。またトークでのおはなしによると、あるときボンドガール・コンテスト(?)みたいなものが催され、五社から一人ずつ出場したらしいのだが(東宝浜美枝か)、何故か内田さんもそれに呼ばれて出たそうだ(きっとピンク映画代表ってことなのでしょうね)。
それはともかく内田さんは歌が好きで、デビュー前は建築会社のOLだったそうだが、建築現場の上の方で、一人でよく大声を出して歌っていたらしく、周りからは変わった人と見られていたそうだ。昔は舞台挨拶で必ず歌っていたらしいが、今回のラピュタではナマ歌の披露はなかった(ちょっぴり残念)。
しかし歌手ではどうもうまく行かなかったようで、その後、ピンク女優に転向。ピンク女優時代の話では、『淫紋』を観たあとでもあったのでその話(これは金沢で撮ったとか、予算がないので着物は自前、メイクも着付けも全部自分でやったとか)や、ピンク映画というもの自体知らなかったという話、当時のピンクと五社の隔たりの話、しかし日活映画や東映『徳川女系図』に出演してることからも五社に一番近かったピンク女優ではなかったかという話、『黒い雪』で黒人とベッドインして警察で調書を取られたときの話、前述のボンドガールの話、向井寛との出逢いからいつの間にか向井組の一員になっていたという話、夫である向井寛が設立した獅子プロダクションの人々(つまるところ結束力)の話、獅子プロ出身の滝田洋二郎アカデミー賞を取ったとき電話をした話、etc…
お姑さんとの生活で忘れる訓練ができた(一体何があったんだ…)とトーク冒頭に言っていた内田さんは、確かにピンク女優時代のことをすっかり忘れているようだったが、向井寛のデビュー作であり、向井寛との初めての出逢いだった『肉』について話をふられると、それがオムニバス映画であったことは覚えていた。なんでも鈴木氏によると、観たことのある年寄り連中はみんな『肉』がいいと口を揃えて言う傑作らしく、本当は『淫紋』ではなく『肉』を掛けたかったそうなのだが、現存するフィルムの音声に問題があり(映像はきれいだそうだが)、残念ながら今回は見送られたということだ。
さらに鈴木氏の”御自身の出演作で他に何か観たいのはありませんか?”との問いに、内田さんは”デビ夫人(*2)を演じたやつを観てみたい”と返答。壇上で二人がタイトルはなんでしたっけねー、うーん、うーん、なんてやっていると、客席から威勢よく”日本処女暗黒史!”の掛け声。世の中にはマニアックなファンがいるものだなぁと感心すると同時に、向井寛監督の『日本処女暗黒史』がますます観たくなったのでした。
また次週に掛かる小川欽也監督の『女王蜂の欲望』の話になり、こちらは『淫紋』とはまた違って内田高子は華やかなファッションモデルの役だと聞くと、内田さんは次週また観に来たいと言っていた。


夫の向井寛が昨年亡くなり(ものを言わない臓器がものを言ったときは手遅れでした。皆さんも気をつけましょうね。by高子)、三人の子供は自分の手を離れ、これからオファーがあるならば仕事(女優業)したい気持ちはあると高らかに宣言した内田高子さんに観客らは大きな拍手、拍手、拍手。
嗚呼、最後もきれいにしまって本当に良いトークだったなぁ、と思ったのもほんの束の間、この日のショーの幕切れまでには、まだもう一つ予期せぬ波乱が待っていたのだった…


<(後篇)につづく>


(*1)<内田さんの天然っぷり>
進行役の鈴木義昭氏は、1969年の「週刊文春」に掲載された神吉拓郎の「内田高子は高速道路の降り口を間違えて延々と回り道をしている」という文章を紹介した。ようするに、”ピンク女優の中で一番メジャーに近く、また十分そっちに行けるのにもかかわらず、まだピンク映画の世界をうろうろしている”というようなことを言った比喩だと思われるが、それを聴いた内田さんは「高速道路の降り口を間違えたことはいっぱいありますよ。当時はどこ行くにも自分で運転してたから」と即答し、それ以上内田さんに何もつっこめなくなった鈴木氏は何もなかったかのようにこの話題を流していた。


(*2)は(後篇)で。