僕たちの失敗(後篇)〜久保新二センズリ回想録

夫である向井寛の『ブルーフィルムの女』にネグリジェリリーフなどもしてる内田高子さんのトークが終わり、観客の盛大な拍手が鳴りやんだとき、司会進行の鈴木義昭氏は”来月トークもありますが、今日の映画にも出てた久保新二さんがいらっしゃってるので、もしよかったら”と、久保新二の登壇をうながした。一言二言挨拶がてら喋ってもらおうという腹だったのだろうが…


袖から現れた久保新二は、いきなり”オイッス!”と言いながら、股間の手を激しく動かしエアセンズリをかきながら登壇!!!!
これは言うまでもなく山本晋也カントクの「未亡人下宿」シリーズでの主要キャラクター、留年とセンズリばかりしている<国士舘大学の尾崎君>なのだが、久保新二ってもう還暦過ぎてんだぜ、それなのにこのバカバカしいことこの上ない登場パフォーマンス!
突然のことで呆気にとられたが、すぐさま久保チンの生センズリに狂喜乱舞。さっきまでの内田さんのときの和やかな雰囲気は一体どこへ消し飛んだのか、観客たちのボルテージが妙な方向へと一気に上がる。
しかし1978年に発行された山本晋也『ポルノ監督奮戦記』など読むと、この頃から久保チンはセンズリをかいてたらしい。大阪駅前の東梅田日活で「痴漢と下宿屋のシリーズ特集」なる企画があったとき、ゲストとして舞台に上がるなり、ズボンに手を入れてプカプカ動かしたもんだから、観客は大バカうけ。それから久保チンは司会の桂サンQとワイセツ漫才を始めたというのだから、会場が異様な盛り上がりを見せただろうこと想像するに難くない。


ちなみに「桂サンQ」とは現在の「二代目快楽亭ブラック」のことで、師匠であった立川談志の通帳から黙って金を引き出し競馬に使ったことで1972年に破門されて、このときは上方の桂三枝のところにいた。その後、1979年に立川流に復帰。1981年には「立川レーガン」と名乗り『お笑いスター誕生!』に出演、4週目で「立川丹波守」と改名し、ポルノ男優をあつかった下品なネタをやる。上野本牧亭でおこなわれたという「立川丹波守」改名披露でもこのネタをやったのではあるまいか?この改名披露のときのゲストが久保新二とあるポルノ女優で、彼らのシロクロ本番ヌルヌルショーが席亭の逆鱗に触れ、立川丹波守はここを永久追放される。しかしこんなことでは全く懲りないこの男は、1985年に「快楽亭セックス」改名披露をおこなった際、またもやゲストに久保新二とAV女優を呼び、彼らにSMショーをやらせ、席亭を激怒させそこを永久追放されている(かように久保チンとブラック師匠の関係は深く、4/11はこの話題も出ればいいなと密かに思っている)。


閑話休題。また2007年にポレポレ東中野でおこなわれた日活ロマンポルノ上映記念前夜祭「めぐりあい同窓会」でも、久保チンは例のセンズリパフォーマンスで登壇し、司会の人に”今日はそういう場じゃなくて上品な集まりですから!”的なことを冗談っぽく注意されていたそうだ。それでも久保チンは自分がやりたいだけやったら、それで満足そうだったという。


と、久保チンのセンズリの話が少々長くなったが、登壇し内田さんと挨拶を交わした後も久保チンのテンションは一向に衰えず、”この作品(『淫紋』)、俺まだ18だよ。劇団ひまわりにいたときだもん!”と言って客を笑わせてから、矢継ぎ早に内田さんに面と向かってこんなことを言い出した。

劇団ひまわりにいた頃、電信柱に貼ってあった内田さんのポスターをみんなで剥がして、こうゆうおねえさんと一発やりてえなぁー!と言ってしこしこした。まさか共演するとは思わなかった。びっくらこいた”と。

このときの内田さんの表情ときたら(笑)二人は完全に水と油であったように思うが、それでもまだ久保チン節は止まらない。
”あー、今日出てた女郎屋の一星ケミ、俺、この作品の後に一星ケミと同棲したんだもん”
で、またもや会場大爆笑。続けて、
たこ八郎の(ボクシング時代の)トロフィーやら盾を(一星ケミの)親が全部持ってって処分しちゃって、だからたこ八郎の追悼テレビ番組にはそれらがワンカットも出てこないんですよ、あははは”
と言って、(たぶん話がよく飲み込めてないと思われる)内田さんからは「あなた悪い人ね」と言われたりしていた。
まあ久保チンは早口で、たこ八郎のエピソードなどは括弧でくくった言葉が抜けていたりするので、なんのことを言ってるのかさっぱりだったろうが、丸茂ジュン『性豪 ピンクの煙』などを読むと、そこへ到るまでに欠落している経緯やエピソードが埋まり、全て理解できる。この本は久保新二へのインタビュー取材をもとに虚実綯い交ぜにして書かれた、ポルノの帝王・久保新二を主人公にした官能小説で、虚の部分はともかくとして、実の部分、久保チンの発言や回想等はひどく興味深く、その意味で紛うことなき名著。つまり、一星ケミとの同棲、セックス、自殺未遂、破綻、久保と一星とたこ八郎のヘンテコな三角関係などこれに詳しい。
一星ケミなら「星野レミ」といったぐあいに名前は変えられているが、語られている内容は赤裸々だったりするので、「安本エミ」こと安西エリの例(何十人ものポルノ女優と肉体関係を持ったという告白手記を実名で週刊誌に書き、その中の一人安西エリから名誉毀損で訴えられたこと。この件に関しては、野上正義が『ちんこんか ピンク映画はどこへ行く』で久保チンに対して苦言を呈し、憤っている)もあるし、他人事ながら平気なのかなぁと気になってしまう。


内田さんにたしなめられ、話題を変えるかのように久保チンは、
”4月11日、ざっくばらんに下ネタ専門で行きますんで、よろしくぅ!!”
と自分のトーク日の宣伝をぶって、颯爽と舞台を後にした。
久保チンが登壇した時間はおそらく三分程度だったと思うが、最後の最後に出て来て全部かっさらっていってしまった。ほんと嵐のような三分間。ひまわりのときはあんなにいい感じの美青年だったのに!あ、でもこのときから下ネタ全開か、この人は!



トーク後のロビーに居残って、知人らともっぱら久保新二のハイテンションなラリルレロっぷりについて話す。

KさんがCDに内田さんのサインを貰っていたので、僕も貰おうかしらんとバッグの中から『別冊キネマ旬報 ピンク映画白書』(1969年発行)を取り出す。ページをぺらぺらめくるものの、おかしい、いるはずの内田さんのページが出て来ない。慌てた僕は本の表紙を指差して”この人は内田さんですかねえ”などと皆に相談を持ちかけた。だが、”ちょっと感じが違うんじゃない。内田さんにこれ内田さんですか?と聞いてみたら(笑)”とか言われたので、一瞬ほんとに内田さんと一緒に本をめくりながらウォーリーならぬ「ウッチーを探せ」をやろうかと思ったが、まあ失礼かなと思ったので(当たり前だ!)、サインをねだっている連中を遠巻きに眺めていた。


すると今度はHさんが”あれ渡邊監督じゃない?”と言い出した。見遣ると、若い頃の顔写真しか見たことなかったが、確かに獅子プロの若い衆渡邊元嗣監督に違いなく、身長が高いとは聞いていたが、実際デカかった。声をかけたくても恥ずかしく、もじもじしてそれができないHさんと僕。お互いに”どぞどぞ”と特攻権を譲り合う。そのうち大きな声でそれとなく気付かせようという作戦となり、ちょうどピンクスクールで『ねらわれた学園 制服を襲う』を観た直後だったので、”ケン玉がさー!”とわざとらしく言ってみるものの渡邊監督がこちらに気付く気配は全くナッシング。
あとでTさんが渡邊監督に声をかけたというのを知り、”い、いつのまに…”と嫉妬の炎をほんのり燃やした。


最後までロビーに居残っていたので、どういうわけか久保チンと少し話す。わけは恥ずかしいので教えられぬが、久保チンに”俺そういうヤツ好きだよ”と気に入られ(いや大袈裟)、いまから歌舞伎町の俺の店行って始発まで飲みゃいいじゃんとしっかり営業される。お店の名刺を貰うが、それがまた”どこぞのファッションヘルスじゃい!”と見紛うばかりのピンキーな名刺、嗚呼、あいうえお、あいうえお。



<エピローグ>
帰宅後、おかしいなぁと思いながら『別冊キネマ旬報 ピンク映画白書』をもう一度ぱらぱらやってると、さっきは見つからなかった内田さんのページ、しかもトークでちょうど話題にのぼった!内田さんが観たいと言った!内田さんがデビ夫人(*1)を演じた!『日本処女暗黒史』(なんでも向井寛のアクション映画らしい)のページが見つかったではないか!!!!

ここにサインして貰えれば嬉しかったのだが、いやそれよりもこれを話題にしてウッチーに話しかけることができたのに…と、ただただそれだけを悔やむばかりだった。
みぎめのおたんこなす!
そんな失意の中、突然、ふとある想念が脳裏にわき上がる。
思えばトークで内田さんが登壇するときにあまり品のよろしくない指笛をピューピューと吹いていた輩、
”あれ、久保新二だったんじゃねえのかっ!!!!”
あの場であんなことできる身のほど知らずは久保新二以外に有り得ないという考えに到ったとき、我ながら自分の探偵の才能が怖ろしくなったのだった。



(*1)
デビ夫人をあつかったものには、西谷純子を主演に配した武智鉄二『ビデ夫人の恋人』というのがある。1971年洋画系で公開予定とあるが、日本映画データベースを見ると、どうも後に『スキャンダル夫人』と改題されて1973年に公開(?)された模様。
「ビデ夫人主催の乱交パーティーを皮切りに、ミチコ妃殿下、皇太子殿下、首相夫人、警視総監、樺美智子らが登場、死姦、近親相姦、レズ…」
民族主義とは何かをつきつめて考える映画です。体制を突き破る性の解放と天皇制の問題を提起したい」
画像下は、荒木一郎と應蘭芳。