狂った一頁〜衣笠貞之助から渡辺文樹まで

フィルムセンターにて衣笠貞之助の『狂った一頁』を初めて観た。村岡実・倉嶋暢の音楽を、衣笠自らが加えた1975年のサウンド版。とりあえずyoutubeにアップされてる『狂った一頁』のオープニングを観てみると、



まず「狂った一頁」の洒落たタイトルロゴが抜け落ちているのがまっこともって残念だが、独立プロ「衣笠映画連盟」の可愛らしい梟マーク(アルファベットは「ナショナルフィルムアート社」の頭文字)と、「新感覚派映画連盟」の素敵な字体を観られるだけでもまあいいか。にしても、これは元々1926年の映画なのだが古臭さが全くなく、これには正直度肝を抜かれた。加えられた音楽もさることながら、とにかくこのオープニングは素晴らしすぎる!琴線にビンビンと触れ、何度観ても全く飽きない。現に普段youtubeの動画など保存したことはないが、こればっかりは保存方法をネットで検索してすぐさま保存した。


「雨の夜の精神病院のシーンにはじまる冒頭の場面は、踊り子や病室内の患者などを短く点綴して、およそ一巻(約九分)、それがなんと230カットからなっていて、0.5秒、1秒という短いカットの交錯がつづく。雨と嵐があり、廻る何かがあり、狂った踊り子がある。そこに組み立てられたリズムとムードとで、この映画全体のねらいを暗示したかった」(衣笠貞之助『わが映画の青春』)
とあるように、もちろん音楽の効果も認めざるを得ないが、避雷針から始まるその交錯するカットのリズムは我が精神を否応にも高ぶらせる。そして多重露出で現れてくる”廻る何か”に、それを中心に据えた立派な舞台に煌びやかな衣装をまとって踊る踊り子、突拍子もないこの冒頭の入りからなんだか呆然とさせられたが、カメラが引いて行くとその謎がすぐに解ける。眼前に鉄格子が現れ、その中で踊り狂うボロボロの服を着た裸足の女の子を見るとき、そこは精神病院で、冒頭はその精神病者の脳内妄想だったということがわかる。youtubeではそれほどでないが、右上の小窓から左下へ光が移動して行く感じはスクリーンで見ると非常に印象的だった。またそのときの狂える踊り子のシルエットが煌びやかな衣装になっているのも素晴らしい。脳内の妄想が形を得て影を持つなんて!?あの影はまるで狂女の妄執がその過度さ故に、彼女の脳内だけにとどまらず現実に具現化してしまい、我々にも視覚されたかのようだ。
そして、嵐の夜は狂える踊り子と化した彼女の脳内に音楽を掻き鳴らす。幾度か挿まれる轟く雷鳴、稲妻は音符マークであるし、降りしきる豪雨は小太鼓の律動、吹きすさぶ暴風は管楽器の旋律なのだろうか、それに合わせて彼女の舞は、その踏は、ますます激しさと速さと回転を増し、ついには床にぶっ倒れてしまうが、それでも彼女の中の音楽は鳴りやまないのである。


冒頭からいきなり狂人の妄想で始まったが、これ以後も狂人らの妄想(ときに狂人の主観ショットはその内面の狂いを表象するかのように、江戸川乱歩『鏡地獄』をも想起させる歪んだ視覚表現になる)、主人公である小使いの空想に回想と、現在と過去、現実と虚構、正気と狂気が、映画文法的な前触れなしに幾重にも錯綜していく構造なので、油断していると何がなんだかわからなくなってしまうが、そこがまた面白い。そして、これは僕の妄想だろうが、ラストの小使いが空想から醒めて廊下に佇むシーン、いままで何かしら流れていたサウンドが突如消えるのだが、その無音が小使いの覚醒を意味しているようで、なんだかそれまでの全ての物語が小使いの入れ子構造の夢、つまり夢の中の夢、夢の中の妄想、夢の中の狂気だったと解釈したくなる衝動に駆られるのである。小使いの掃く廊下は実際精神病院の廊下ではないかも知れないし、いやむしろ、小使い自身が小さな蘆原将軍だったとしてもなんの不思議はないだろう。


蘆原将軍といえば、かの石井輝男江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の精神病棟にも収監されている有名な誇大妄想狂である(*1)。櫛職人だった彼は24歳のときに発狂、将軍位や内大臣を自称しはじめるが、年を経るごとに太政大臣天皇と位が上がっていき、果ては蘆原国元首として独立し暦法を改めた。また世界各国の皇帝を人質に取り、徳川時代の参勤交代のやり方で世界を征服しようとさえした。その他の蘆原将軍の抱腹エピソードは枚挙に遑がないので、今それをいちいち書くことはできない。それに関しては種村季弘アナクロニズム』、ネットでは「狂気のスター」(http://www.adachi.ne.jp/users/yossie/kyouki.htm)に詳しいのであたってみればいい。にしても、シネマヴェーラ渋谷の「妄執、異形の人々」で、石原英吉の『天下の奇人蘆原将軍』1937がいつまでたってもラインナップされないのは納得がいかない。蘆原将軍ほど”妄執、異形の人”の冠が似合う傑物もいまい。それはともかく、森繁劇団公演、森繁久弥主演の『蘆原将軍』1968での将軍の臨終の台詞がふるっている、すなわち、”世の中、狂っとる!”
閑話休題。蘆原将軍の話が長くなってしまったが、つまり衣笠貞之助が『狂った一頁』の着想を得るため見学に行った脳病院が、当時蘆原将軍が入院していた世田谷の松沢病院だったのである。このおかげであるのかないのか、衣笠貞之助は映画を観たその方面の人から「わりあいに正しく狂気の患者の生態を描いてある」と言われたらしいが、実際に正しいかはさておき、悪役に冴えを見せていた時代の高勢実(※後年の『十字路』1928では十手を拾ったニセ目明かし)、小使いの妻である中川芳江(※『十字路』では女を売る婆)の迫真の狂人っぷりは、この映画を傑作たらしめる特出すべき要因の一つとなっている。いや、彼らにも増してさらにシビれる狂人がまだいた、そう、狂える踊り子の南栄子である。


原作者である川端康成の「『狂った一頁』撮影日記」(※『週刊朝日』大正15年5月30日号)によれば、踊り子の役には特に意味はないけれど、もともと須田笑子(※後年のグロテスク怪奇映画、芝蘇呂門『踊る霊魂』1927の主演女優)が出演すると知って書き加えた役だったようだ。しかし須田笑子は舞台公演の都合で映画には出演できなくなり、そのときの川端康成の失望は甚だしく、踊り子なしではこのシナリオの撮影は不可能とさえ言っている。そこで抜擢されたのが南栄子であるが、それに対し川端康成は彼女の足の線の美しさは賞賛したものの、踊るシーンの撮影風景などを見て心細くもなったようだ。それは例えば、「踊り狂ひながらぶつ倒れるところ、なかなかうまく行かず。壁に突当つたり、カメラを飛出したり、幾度もやり直しをするうち、何物かの上に倒れて、ひどく頭を打ち、肩を擦りむきて血を滲ます。踊子涙含まんばかりなり。気の毒で見てゐられず、ダンスの振附までする衣笠氏甚だ大瞻なり」という記述からも窺い知れようが、実際出来上がった映画を観た川端康成は、それが余計な危惧であったことをおそらく思い知ったことであろう。なんと言っても出色はラストの南栄子が面をつけて踊るシーンであり、確かに踊り子は特に意味のない役かも知れないが、映画を華やかに飾る彩りであり、ときに狂人たちの狂騒を煽動する呪術であった彼女の舞踏がなければ、『狂った一頁』の魅力や魔力が半減したこともまた否めない事実なのである。


面といえば、老いたる小使いが空想の中で笑い面を狂人ひとりひとりにかぶせてやるシークエンス、皆が幸福になったような、反面、狂気と紙一重のその柔和な笑いに背筋がぞっとするような一種の大団円も『狂った一頁』の重要な見どころの一つであろう。また面に関するエピソード(例えば、いい面がなかなか見つからずひどく苦労した話など)は川端康成『掌の小説』に収録された「笑はぬ男」に詳しい。
「私は毎日撮影所で痛ましい狂人たちの生活が写されて行くのを見るのが苦しかった。何とかして明るい結末をつけなければ助からない気がして来た。ハッピイ・エンドが見つからないのは自分の性格が暗いためだと思われて来た。だから仮面を思いついたことは嬉しかった。病院中の狂人に一人残さず笑いの面を被せてやった有様を想像すると愉快になった」(川端康成



村岡実・倉嶋暢のサウンド版ではないが、別の場面をyoutubeで見つけたので貼っておく。


狂人、中川芳江、高勢実、南栄子。医者、関操。主人公の老小使い井上正夫はこのとき45歳(1881年生)であるが、年寄り臭くするために自ら額の毛を抜いて薄くした。プロ根性。衣笠貞之助『わが映画の青春』によれば、途中に出てくる外国人医師は衣笠宅に一年ぐらい居候していたアルデンボーグというドイツ青年。元々は牧野省三を頼ってやってきたドイツ人監督とその妻と一緒にいた男。このドイツ青年に5000円(この時代、大卒初任給50円)を持たせて上海へ『狂った一頁』を撮るためのパルボのカメラを買いに行かせている。
にしても、こうして映像がyoutubeに流れるということは海外では『狂った一頁』はDVD化されているのだろうか。もしそうならば、もう一度観てみたいと思っているので欲しい。『狂った一頁』もまたやはり「妄執、異形の人々」に掛けるべき映画ではないのか!?



『狂った一頁』 『十字路』の世界観に触れたとき、まあ丸尾末広からの連想ではあったけれど、ふと頭をよぎったのが『日輪』だった。しかし丸尾末広がいただいているのは村田実が撮った『日輪』1926の方で(*2)、やはり衣笠貞之助の『日輪』1925とは無関係のようだ。
それはともかく、衣笠貞之助の『日輪』といえば、中国の史書魏志倭人伝』に伝えられる邪馬台国の女王卑弥呼を題材にした映画だが、卑弥呼は皇室の先祖である天照大神だとか、神功皇后だとか言われた時代のことだから、卑弥呼を映画で俳優が演じるなど言語道断、皇室に対する冒涜だ、不敬だと言って過激な右翼団体が騒いだため、マキノプロの牧野省三はめんどくさがって即時上映を中止にした。ちなみに警察庁の検閲は、字幕や説明台本に「神代劇」などの言葉があることは問題だとしてカットさせたが、映画を上映すること自体には許可を下していた。
このときふと思い浮かべたのが渡辺文樹の『天皇伝説』だった。この映画の内容を文字にすることさえ怖いので割愛するけれど、右翼団体の抗議があったのかなかったのかは知らない(ましてや過激行動は上映されてみなければわからない)、国家権力の弾圧があったのかなかったのかも知らない、ただ偶然か必然かはわからないが、2008年5月27日の『天皇伝説』封切り直前に、渡辺文樹は1月下旬に旅館の宿泊代を踏み倒したとして詐欺の疑いで逮捕されてしまったのだ。当然『天皇伝説』の上映は白紙となった。
『日輪』からの連想で、”ああ、文樹は一体どうしてるんだろうなぁ”と漠然に思っていた数日後、奇しくも池袋のビックカメラ前で信じられない光景を目の当たりにする。なんとそこの柱に『天皇伝説』のポスターが過激な煽りと共にくくりつけられているではないか!?



例えば、衣笠貞之助の『日輪』はほとぼりのさめた2年後に『女性の輝き』と改題されて公開されたが、渡辺文樹の『天皇伝説』はほとぼりもさめ切らぬたった2ヶ月後に何の改題もされずに(当たり前だ)公開されるのだ!映画もさることながら、今から渡辺文樹の前説が楽しみで仕方がない。



日時と場所と時間。子供の顔、不気味。



これは高円寺駅前にくくりつけてあったポスター。キャストに「佐藤了一」の文字。まさかあの日活の佐藤了一なのか?!



(*1)

キョーツケー!我が輩は陸軍大将、蘆原将軍である!おい!こら!態度が大きいぞ!
敬礼をせんか!敬礼を!こらー! (石井輝男江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』1969)


(*2)

村田実『日輪』1926




丸尾末広『啼く吸血鬼』2001

どちらかの画像を90度回転させたらなお分かりやすい、構図、細部までの一致。
構図という点では『殺しの烙印』のDVD特典で宍戸錠が語っている、絵画を二、三枚持ってきて見せて、体位はこれで行くからなどと言った鈴木清順もふと思い出された。