ロマポ版・不思議の国のアリス物語〜『女高生偽日記』

migime2009-01-16


1月13日
シネマヴェーラ渋谷にて、「話題性を喚起」するために作られた企画もの、写真家のアラーキーこと荒木経惟が監督した『女高生偽日記』1981を鑑賞。
どうも巷間では「素人の撮った映画だからやっぱりヒドイ」だとか「ただの駄作」だとか酷評の嵐で、それに同意できない僕は地下での乱痴気騒ぎだけでも十分面白いじゃないか!と真剣に思ってしまうのだが、それはともかく僕は中原俊のデビュー作『犯され志願』1982が大嫌いだ。以前、松島利行『日活ロマンポルノ全史』に凄い新人が現れた、評判の良い作品という大意の文章があったので観たが、僕には全く共感できないツラい作品だった。都会で自立する一人暮らし女の生活を描いたものだが、そんなの知らねーよって感じで、有明祥子のブスっぷり(しかしその方がこのストーリーにおいてはリアリティがある)も相俟って、とにかくイライラした記憶がある。
それ以来しばらく中原アレルギーにかかった僕だったが、もしも罹病と同時に『女高生偽日記』1981を観ていたら症状は早々に緩和していたかも知れない。というのは『女高生偽日記』の脚本と監督補が中原俊弘(中原俊の本名)であるからだ。助監督ではなく「監督補」として初の作品であり、映画の素人アラーキーが「話題性を喚起」するために祭り上げられた御輿であるならば、その担ぎ手として陰で暗躍したのが中原俊弘だったろうこと容易に察しがつく(アラーキーは自分の考えを口にしさえすれば、あとは中原俊弘やカメラの森勝に任せておけばよかったに違いない)。例えば、『女高生偽日記』の直前に、適当な言葉が見つからないので安直に幻想/異界系と言ってしまうが、なにげない日常の中にふと現れる、日常との境界線がひどく曖昧な異界をかなり高次なレベルで描き出した傑作『密猟妻 奥のうずき』の助監督をしたことの影響を指摘したならば、それは根拠もない飛躍という誹りを免れぬだろうが、だがしかし、僕などはその手の素養を菅野隆より吸収した可能性がないとは断言できないようにも思うのだ。中原俊弘が監督補し、脚本(熊谷禄朗との共作)を書いた『女高生偽日記』も、実は夢とも現ともわからぬ幻想の世界を描いた異界譚なのだ。もともと冒頭に「『荒木経惟の偽日記』より」とスーパーが出るように、この写真集での時間概念を少なからず踏襲しているのかも知れない。『荒木経惟の偽日記』はカメラのダイヤル式日付機能に着目し、適当にダイヤルを回しランダムな日付で撮った写真を日付順に編纂したもので、そこには写真集が発行された1980年には撮れるはずもない1992年の写真もおさめられているという。一見、経時的なようでいて、その実は過去・現在・未来が行きつ戻りつしながら連なるというこの断片的な時間の捉え方は、まさに『女高生偽日記』の構造そのものなのだ。そう、この映画は夢と現ばかりでなく、過去と現在も断片的に連なるのである。いや、もっと言えばアラーキーの写真集では過去と現在を同時に現すことは出来なかったが、『女高生偽日記』の場合は時間の共時性をも獲得してしまった。わかりやすくいえば寺山修司田園に死す』における少年(高野浩幸)と現在の私(菅貫太郎)の邂逅、別々の時間をもった同一人物を共時的に登場させるあの方法論である。こうして過去と現在は重なってしまう。具体的に『女高生偽日記』でいうと、ヒロインの荒井理花とたびたび登場する幼女が同一人物なのだ。その根拠はロリコンの港雄一が幼女に買ってあげたウサギのぬいぐるみだが、それと同じものが荒井理花の部屋にもあることが最後の最後で種明かしされる。街中でたびたび幼女を見かけるとき、決まって荒井理花の顔にははてなの色が表れる。それは通常の時系列では絶対に見ることのできない過去の自分に出逢ってしまったという不思議の表情である。こうして過去(幼女)と現在(荒井理花)は断片的に連なりながら、なおかつ重なりながら交差し、ついには過去と現在の境目は溶けて消え、時間そのものがわからなくなってしまうという仕組み。例えば石井輝男『異常性愛記録 ハレンチ』などは回想の中で回想をするというような時系列を把握することが難しい構造を持っているけれど、「不思議の国のアリス」を根幹とした『女高生偽日記』はそれに輪をかけて複雑な入れ子構造を持ってるように思われる。『女高生偽日記』は時間に沿った物語ではなくいわば断片的な悪夢であり、また一方で、現実と幻想の、日常と異界の、現在と過去の境界線を限りなくカオス化させ混乱させるたくらみなのだ。というかこれ、現実と幻想の境界の曖昧性において、何故かいまさらながらのルイス・ブニュエルの『昼顔』なのである。カトリーヌ・ドヌーヴは少女期に受けた性的ないたずらがトラウマになり不感症になったが(それを明らかに暗示させる過去とも現在とも判別つかぬ少女と男のシーンが挿入される)、荒井理花は幼女期にパンチラ写真を撮られたことで、何故か女高生になってもエロ本のモデルになってパンツを撮らせた。ドヌーヴとは形が異なるが、これもまた過去に受けたトラウマの複雑な一変種と言えるのではないだろうか。
ここで『女高生偽日記』の内容にも触れておくが、もしもこれを改題するならば、「にっかつロマンポルノ版・アラーキー不思議の国のアリスが端的。タイトルバックで映し出されるウサギに導かれるように幼女がバー(縦穴)に入るカット(その様子を不思議そうに見つめる荒井理花)からしてピンと来るが、いやその前にアバンタイトルアラーキー自身が「今度にっかつで映画撮るんだよね。不思議の国のアリスっていうの」と言っているから間違いようもない。当然、荒井理花と過去の自分である幼女はアリス、すると劇中に何度か挿まれる幼女と港雄一のショット、しきりに幼女のスカートをめくり、パシャパシャとパンツの写真を撮る港はルイス・キャロルカメオ出演のクマさんこと篠原勝之はその風貌から、さしずめハンプティ・ダンプティといったところだろう)か。アリスは女高生になってもエロ本のモデルをやって、パンツを撮らせているところが面白い対応。その女高生アリスはバーの縦穴(階段)を地下へ地下へと降りて行き、そこでやはり「無時間的な」狂乱の饗宴に遭遇するが、最後に裸で縛られて椅子の上に寝かされてしまう。その周りを乱痴気騒ぎしてる連中が取り囲み、アリスを吊し上げるのだが(この連中らはさしずめトランプの兵隊だろう)、ここで目を覚まし、その饗宴は夢だったというオチまでルイス・キャロル不思議の国のアリス』と同じ。そのあとのオナニーと近親相姦がよくわからぬが、もとよりこの映画は考えず感じればそれでいい。
饗宴といえば、ジャズバーでの乱痴気騒ぎが『女高生偽日記』一番の見どころかも知れない。まず中村誠一(サックス)率いる、市川秀夫(ピアノ)、トニー木庭(ドラム)、青島信幸(ベース)のカルテットがいい。中村誠一による映画のメインテーマもなかなかだが、曲名は知らぬが饗宴シーンの一曲目が渋く聴かせる。二曲目は『荒野のダッチワイフ』の頃の凶暴さはすっかり影を潜めているものの、まあ軽快な演奏でトランプらの熱狂を煽る。その軽快なジャズに合わせて狂喜乱舞するカメオ出演者がまた豪華で、荒戸源次郎赤塚不二夫(赤いパンツいっちょ!)、糸井重里篠原勝之南伸坊など。
この饗宴自体、幻想なのだが、このなかで特に出色なのが、「吸いますか?」と自分の口にくわえていた葉巻を荒井理花に差し出す荒戸源次郎のシーン。その葉巻は異常に長く、太く、黒い。それを受け取った荒井理花はエロティックに咥えピストン運動をし始める。その葉巻フェラのときカメラは荒井理花の顔に寄るのだが(カメラ寄れば当然右隣に座っている吉原正皓はフレームアウトする)、次の瞬間カメラを引くといままで隣にいたはずの吉原が突然黒人に変わっているのである!言うまでもなく葉巻は黒人のペニスだ。このようなメタモルフォーゼを目撃するにつけ、すぐさまブニュエルを喚起するのは果たして僕だけだろうか。だいたい劇中での吉原正皓と江崎和代の情交シーン、女に足蹴にされハイヒールで体を踏みつけられるドM然とした吉原「ゆるしてえー」 江崎「ゆるしてあげるわ」 吉原「まだ早いんだよ!(怒)」 江崎「あ、すいません」のやりとりからしてまんま『昼顔』ワンシーンのパロディではないか(もちろんブニュエルの方には「ラーマはマラに塗るものよ」などといったダハハな駄洒落はないが!)。
またロマポの脇役俳優が好きな僕としては、彼らのコミカルな演技を観られればそれだけで十分だというきらいがあって、例えばアラーキーをパロったモジャカメラマンでハイヒールでアナルをグリグリやられる吉原正皓や、ノーパン喫茶で女の股間をガン見する島村謙次など出てくるだけで超笑える。これらおじさんが中村誠一の演奏をバックに超ノリノリになって踊ってる姿を観るのも楽しい。小川亜佐美なんかもこの饗宴のためだけに出てきて、裸で踊り狂っていていい。
そして最後にこれだけは言っておかねばならないが、『女高生偽日記』がなお素晴らしいのはやはり監督であるアラーキーのエロティシズム感覚によるところが大きい。ウサギのように白い肌と小ぶりのおっぱいの荒井理花を全編あれほど猥褻に、いやらしく、魅力的に写し撮ったアラーキーの感覚凄し。別にエロくて劣情をもよおしたという話ではないが、吉沢由起が後背位で突かれてる最中、睨み付けるようなカメラ目線を寄越してくるのは、いままでこのようなファックシーンは観たことないし、写真家ならではの発想なのかなとふと思った。そしてアラーキーの面目躍如と言いたいショットは、幼女がうんこ座りでパンツを見せながら線香花火をしているところ。パンツの上に重なってちろちろと爆ぜる「線香花火の玉」は、つまり埋舌、「幼女のクリトリス」であるという素晴らしいイメージ、エロティシズム。脱帽!
白ウサギの点景もかわいくてとてもいい。



『女高生偽日記』1981/ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
監督荒木経惟,プロデューサー中川好久/結城良煕,監督補中原俊弘,脚本中原俊弘/熊谷禄朗,企画佐々木志郎/成田尚哉,撮影森勝,音楽中村誠一,美術橋本俊雄,編集井上治,スチール宇崎竜童,助監督高橋安信,照明渡辺三雄,録音福島信雅
出演 荒井理花,森村陽子,萩尾なおみ,江崎和代,吉原正皓,浅見小四郎,小池雄介,影山英俊,港雄一,島村謙次,吉沢由起,小川亜佐美,関口陽一,大田一水,星野麻三子,三浦さち子,ボブ・ジャクソン,フラーク・クラック,中村誠一,市川秀夫,トニー木庭,青島信幸,荒戸源次郎,赤塚不二夫,糸井重里,篠原勝之,南伸坊