『やくざ観音 情女仁義』を読むための「桜姫東文章」

スタジオ・ボイス』などという横文字の小洒落た雑誌がこの世にあること御存知か。僕はこの手のスカした雑誌は好かん(*1)。のだが、友人宅の映画本が集められたコーナーを物色していたら、この雑誌が紛れていて、”こんなもの”と小馬鹿にした気分で本棚から抜き出してみると、表紙は鈴木清順の『殺しの烙印』、なんだかなぁって気分になりつつもパラパラとページをめくっていると、田中陽造荒井晴彦の対談が載っており、正直ゆっくり読みたかったので友人宅より拝借してきた。そして早速読んだ、2000年5月号「特集 映画を作る方法2」



田中陽造といえば、僕が最も好きな脚本家のうちの一人であるが、その田中陽造がその対談の中でこんなことを言っていた。


−田中さんの作品は発想の仕方が普通の映画と違うんですよね。『やくざ観音 情女仁義』(神代辰巳・73)とか、どこから出て来るのかなと。
田中:あれは桜姫東文章なんですけどね。


『やくざ観音 情女仁義』(「いろじんぎ」と読む)といえば、以前ブックオフ大陸書房のやつが300円で売られていて、そのとき手持ちが300円もなくて、どうせこんなビデオ誰も買わんだろうと高を括って、後で買いに行ったらすでに抜かれていて死んでしまいたくなった思い出があるが、数年前にジェネオンからDVDがリリースされてとてもよかった。
まあそんな極私的なことはともかく、例えば荒井晴彦などは「神代辰巳田中陽造はうまくいかない最たる例」(*2)だと言うが、個人的には神代映画の中でも五本の指に入るだろうほど好きな異色の映画である。
それに加えて原作が、「四谷怪談」や『修羅』(「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」)など、これまた僕が好きな映画群に使われてることでも馴染みの深い四世鶴屋南北、いや、『やくざ観音 情女仁義』の原作が「桜姫東文章」とは言わないが、しかし田中陽造がこの狂言からなんかしらの着想を得てホンを書いたのならば、これはファンとしては一応読んでおかねばならぬ。ので、『名作歌舞伎全集第九巻』(1969/東京創元社)に収められた一編、四世鶴屋南北桜姫東文章読了。ちなみに「桜姫東文章」の初演は文化十四年=1817、河原崎座のために書き下ろされたものである。



まず、「桜姫東文章」の内容は知らなくとも、このおはなしの主要人物「清玄」、この名前を聞いてピンと来た人は鋭い。『やくざ観音 情女仁義』の主人公も「清玄」という。
どちらの清玄も「坊主」であるという共通点、そして一人のファム・ファタールの出現でトチ狂う、僧侶という身分を捨ててただただ破戒堕落の道を突き進む、その魔性の女に魅せられて。
南北の場合のファム・ファタールは、かつて心中しようとしたほどに愛した「稚児の生まれ変わり」、清玄、十七年のときを経て、その愛人に巡り合うという因縁。
田中陽造の場合はそれを「腹違いの妹」として書いた。兄妹、二十三年のときを経て邂逅し、お互い知らずに交わる近親相姦という因業。この事実を知り兄清玄は狂っていく。もうこの辺はほとんど地獄物語の様相を呈しているが、また反面その淫靡で甘美なことといったらない。


桜姫東文章」のヒロイン桜姫、物語のはじめの方は一般的な歌舞伎の赤姫のようにも見えたのだが、実はこの姫とんでもない淫婦だという南北の着想の妙。
釣鐘権助という男に夜這いされ破瓜されて以来、権助の肌を懐かしがり、権助と同じ「鐘に桜」の刺青を自らも彫り(そのときできた赤児は余所にやる)、物語後半になると、「風鈴お姫」との異名を持つ女郎に(ほとんど自ら進んでと言ってもいいが)成り下がる。そんな姫様がいるかよ?!と思わず突っ込みを入れたくなるほど。そして、さきほども言ったが、清玄を狂わせた魔性の女でもある。
『やくざ観音 情女仁義』のヒロイン美沙子もほとんど淫婦に近い。ロマンポルノだから当然といえば当然なのだが、この映画の主要なセックスシーンはそのほとんどが美沙子のもの。自分の家の若いヤクザ組員とやり(このときの描写は、とても生者のセックスに思えない。まるで冥界の、相手の男は亡者か鬼にでも抱かれてるようだった)、敵方の組長に薬漬けにされてやり、身を助けてもらったからと兄とも知らず清玄を挑発する。そして清玄が兄であると知って以来、彼女の魔性はますます際立つようなのである。


ここで一つ蛇足を加えると、『やくざ観音 情女仁義』では、近親相姦によって美沙子のさらなる魔性を引き出したのは清玄であり、またそうなった美沙子に翻弄され堕落したのも清玄である。
一方、「桜姫東文章」の方では、夜這いによる破瓜によって桜姫の淫婦性を目覚めさせたのは釣鐘権助であり、そんな桜姫に翻弄されたのは清玄である。この通り、こちらは映画の方と違ってヒロインと深く関わる男が二人いるのである。
田中陽造は「桜姫東文章」の清玄と権助をくっつけて一人清玄のみをホンに登場させたようだが、ここで面白いなと思うのは、「桜姫東文章」で清玄の幽霊が出てきて、権助の顔が半分清玄になるというところ、実はこの芝居の初演では七代目市川団十郎が清玄と権助を演じる一人二役であったという、脚本的なこともあっただろうが、田中陽造はこういうところまで踏まえて清玄・権助の二人を足したのじゃないかなと個人的には思ったり。


刺青について。
桜姫東文章」では、釣鐘権助の腕の「鐘に桜」の刺青、惚れてる権助の真似をして自分も同じ刺青を入れた桜姫。
『やくざ観音 情女仁義』では、もともと色気たっぷりの仏様に恋い焦がれていた清玄が背中に彫った観音様の刺青。この背中に彫った観音様はイコール美沙子のことではないのか。”おまえの仏は人を殺す仏だ”という、かつての清玄の師匠の言葉がふと思い出される。
しかし刺青については両者にあまり共通点はないように思われる。それよりもむしろ、僕はふと『おんな地獄唄 尺八弁天』の方を想起してしまった。脚本は田中陽造と同じく”具流八郎”のひとり大和屋竺
田中陽造のは刺青自体が恋慕の対象、「運命の人」としてのそれであったが、『おんな地獄唄 尺八弁天』で大和屋竺が書いた刺青は男と女を引き合わせる、男と女を結びつける「運命の印」であった。しかも、これには田中陽造が言うところの「映画的距離感」(*3)ってのがあるように思われ、背中に弁天と吉祥天を彫った男と女は、例えいる場所は遠く離れていても、その背中の刺青を介してお互い魂の交感をすることができるのである。そういう点では刺青の効果、使い方として、「桜姫東文章」のそれよりもさらに上を行くものであろう。
(余談だが、先日ヴェーラで見た『レイプ25時 暴姦』の刺青も絡めて想起したならば、この映画がより一層見えて面白いかも知れぬ)


桜姫東文章」で、桜姫が落ちぶれ「風鈴お姫」という女郎になり、”公卿の娘”というのを売りに人気女郎になったまではいいが、清玄の幽霊がその枕元に現れるので客が全く寄りつかない、というくだりを読みながら、
−吉原時代、おせんを抱いた客が三人続けて死んだことから、ついたあだ名が「死神おせん」、以来裏見世の百文女郎にまで成り下がったが、それでも客は”いくらいい女でも抱いて死んじゃあ元の子もない”と誰もおせんを買おうとしない−
という、やはり田中陽造が脚本の『マル秘女郎責め地獄』で中川梨絵が演じたところの女郎を思い浮かべた。
が、よくよく調べてみると、ここにも意外な共通点?死神おせんも「桜姫東文章」からの着想?と思われるような部分があった。
まず「桜姫東文章」の「風鈴お姫」には実際のモデルがいた。太田蜀山人『玉川砂利』に、品川の廓に公卿の娘と称する女郎がいたと紹介されているようである。その女郎は名を”おこと”といい、日野中納言の娘と称し、官女の姿で客をとったという。しかし、このおこと、実は公卿の娘というのは嘘で、女郎が十二単の官女に化けて敵方に乗り込んだという歌舞伎にヒントを得て、自分も官女に化けたという。そして、そのヒントとなった歌舞伎が「三日月おせん」というのである。
そして『やくざ観音 情女仁義』と『マル秘女郎責め地獄』、共に1973年の作品、製作期が集中していることも参考までに。
余談だが、中川梨絵のこの手の女郎ものでは、奇しくも『マル秘女郎責め地獄』のやはり同年に、大工原正泰の脚本で『マル秘女郎残酷色地獄』というのもある。なんだか似通っていて紛らわしいが、『マル秘女郎残酷色地獄』の中川梨絵は初め大奥女中であった。それが人の罪を着せられ女郎として吉原へ売り飛ばされてしまうという。女郎となって開き直った中川は自分を陥れた者に喧嘩上等、”将軍様が抱いた体だよぉ!”と啖呵を切りながら客に抱かれるのである。


親殺し、親の仇について。
桜姫東文章」では、桜姫にとって権助は「夫」であり、親を殺した「仇」。桜姫は最後その仇を討ち、自分の愛する子供であるが、仇である権助の血もひいていることから、イコール我が子も仇、という論法で我が子も殺す。
『やくざ観音 情女仁義』ではそれより少し複雑に、まず前述した通り清玄は「桜姫東文章」での清玄と権助二人の役割を兼ねた人物であるということ、それを踏まえて、美沙子にとって清玄は「兄」であり、「夫」であり、「親の仇」である。清玄は美沙子の父親を殺すが、それはすなわち自分の父親でもあるという親殺し。なるほど田中脚本の方がより業が深い。
その因業に対する救済の意味合いがあるのかないのかは知らないが、「桜姫東文章」の論法に従えば、美沙子は自分の子でもあるが、親の仇清玄の子でもある我が子を殺さなければならない。が、『やくざ観音 情女仁義』ではそういうことはいっかななかったようである。実際産んだのか夢幻なのかは判然としないが、映画中、美沙子が自分の子であろう赤ちゃんを抱いて可愛がっているショットは何度か挿まれたと記憶する。


桜姫東文章」の黄泉がえりとか幽霊について。
『やくざ観音 情女仁義』では冒頭からこれである。「死に腹の清玄」と呼ばれる清玄は、死んだ母胎の中から坊主の手によって取り出された。坊主がいらんことをしなければ、清玄はあのまま死んでいた。この場合、胎内はほとんど冥界に近く、石井輝男の『地獄』を持ち出すまでもなく、女性器は冥界に地獄に通ずる門扉である。しかし生まれてきたこの世も生き地獄という。
と言っても、これらについては別段「桜姫東文章」ということではなく、「冥界」や「生と死のはざま」といったものは、田中陽造作品全体の一貫したテーマであるので、特にこれからと限定するものではないだろう。
ただ南北の「人間が落雷によって蘇生」というのは面白い。フランケンシュタインの怪物なんかもこのヴァリエントでしょうか。この逆としてサドやシブサワの小説なども想起されそうだ。



(*1)と言いつつ、『スタジオ・ボイス 特集ミステリアス・フリーク江戸川乱歩』(1986.12.流行通信)だけは買った。エッセイスト丸尾末広の面目躍如であろう素晴らしい「雲の上を真夜中が歩く」を読むためだけに。

(*2)「神代辰巳田中陽造はうまくいかない最たる例という。田中さんのホンって世界が出来ちゃってるから、武田一成さんみたいに変にいじらずにまんま撮る方が結果はオッケーなんですよ。田中さんのホンはちょっといじると全然違うモノになっちゃう」−荒井晴彦

(*3)「この間も、女子大生が刺し殺されて、殺しを依頼した犯人は自殺しちゃったよね。要するに、別々なところで二人が死ぬわけだよ。映画的距離感のあるいい話しで」−田中陽造

※(*2)(*3)とも『スタジオ・ボイス』誌2000年5月号の対談より。
※(*2)の事件はたぶん1999年の桶川女子大生ストーカー殺人事件のこと。

 南太平洋の秘島に棲息する大巨獣ガッパの生態

なにやら今日(1/27)はフィルムセンターで大巨獣ガッパが掛かっていたらしい。映画ファンのガールに観に行かないかと誘われたが京橋は遠いのでパスした。いまさら僕がガッパについて話すことは別にないのだが、それでも一言、我が国のガッパシーンが過去最大の盛り上がりを見せた2005年の回想を交えて少し…



やっぱガッパ!
ガッパの親子愛強し!
怪獣バンザイ!
ガッパ勝った!
ガッパもう怒らない!


今をさかのぼること4年前、2005年5月に旧ユーロスペースで、みうらじゅんセレクトによる「みうらじゅん的映画祭」なるものが開催された。試みにそのラインナップを列記すると…


・『大巨獣ガッパ』1967/野口晴康
・『帝銀事件 死刑囚』1964熊井啓
・『バージンブルース』1974/藤田敏八
・『八月の濡れた砂』1971/藤田敏八
・『私が棄てた女』1969/浦山桐郎
・『宇宙人東京に現わる』1956/島耕二
・『雁の寺』1962/川島雄三
・『秘録 怪猫伝』1969/田中徳三
・『蛇娘と白髪魔』1968/湯浅憲明
・『四谷怪談 お岩の亡霊』1969/森一生


の10本。そして、このなかでお客さんの投票数が一番多かったものに与えられる「金の蛙賞」、それを見事獲得したのが、そう、大巨獣ガッパだったのである。つまり冒頭の五行は、「金の蛙賞」を獲得したガッパに対するみうらじゅん氏のメッセージである。

実は僕も「みうらじゅん的映画祭」の観客同様、ガッパの親子愛や、またガッパの造形にひどく心を打たれたくちなのだが、映画のストーリー等はすでに他で十分語り尽くされてる感があるので、ここではガッパそのものにスポットライトを当てていきたいと思う。


それにしても「大巨獣ガッパ」とは凄いタイトルである。「大」も「巨」も共に「でかい」という意味である。それを二つ並べてつなげるのだから、これにはまいった。”ガッパは一体どれだけバカでかいのか?!”という話である。ちなみに、1967年に朝日ソノラマから刊行された『怪獣解剖図鑑』なる怪獣研究書の大伴昌司氏の解説によると、ガッパの体長は60メートルである(体重2万トン)。60mと一口に言われても比較対象がなければピンと来ないだろうが、有名どころではウルトラマンが40m、ゴジラが50m、ガメラが60mである。これだけ見るとガッパは大きい方だが、しかしキングギドラの体長は100m(!)、この怪獣に比べればガッパもまだまだ「大巨獣」とは言えないようである。


ガッパとは頭にお皿はないが、その名前と顔つきからして、どうやら河童の怪獣のように思われる。しかし羽根も生えていて空も飛べるので、カラス天狗等も混じった妖怪ベースの怪獣なのかも知れない。ちなみに、映画中ではガッパの生態や能力は謎に包まれたままで、それらについて細かいことは何一つとして語られないが、前述の『怪獣解剖図鑑』によれば、ガッパの飛行速度はマッハ3である。1983年に秋田書店から刊行された『怪獣映画大全科』によれば、東宝ラドンがマッハ1.5、モスラキングギドラがマッハ2、大映のギャオスがマッハ3であるので、それらと比較してみても、日活のガッパが如何に速く、能力が高いかがわかるだろう。


映画を観た人ならば、海から現れたガッパが日本に上陸する際に、母ガッパの方が何かをくわえていることに気がついたと思う。目をこらしてよく見ると、それはタコなのであるが、”なにゆえタコなのか?!”というこの不自然なシーンについても映画中では一切説明されない。なので、ここで少し補足すると、タコはガッパの食料なのである。というか、ガッパはタコしか食べないのだ(ガッパの胃は「タコ胃」と称されている)。ここでようやく人間に捕らえられた子ガッパが、人間に与えられた食物を全く口にしなかったわけも頷けるだろう。そして、さらに『怪獣解剖図鑑』の解説によれば、親ガッパは子ガッパを助けるために日本に来たわけだが、あの母ガッパがくわえていたタコは、なんと腹を空かせてる子ガッパに食べさせようと持ってきた獲物だったのだ!嗚呼、母の子を想う愛情よ!

僕はこの事実を知って、あのガッパたちの怒りを全て察した。日本に上陸した直後の親ガッパたちは、子ガッパを探すために街やビルを踏みつけて破壊しはするものの、ガッパ能力「殺人爆発光線」で人間たちに自らすすんで攻撃を仕掛けることはなかった。また自衛隊の戦車などに次々と発砲攻撃されても、それに対してガッパは反撃することもなかった、最初は。
しかしである、その戦車の砲弾が運悪く母ガッパの口元に当たってしまったのだ。それにより母ガッパは子供への獲物タコを地面へ落とすことになる。落とした瞬間に、画面は母ガッパから父ガッパのドアップにパッとスイッチされるのだが、このときの父ガッパの咆哮と怒りの表情は凄まじかった。

「テメエ、なにタコ落としてんじゃ、クソボケェェェ!!!!」
「そんなこと言ったってアタシのせいじゃないわよ!!
 アイツらよ、アイツらがみんな悪いのよ、ギリギリ、キィー!!!!」

このタコ事件をキッカケに、逆ギレした親ガッパたちは4000度の熱をもつ「殺人爆発光線」を駆使し、次々と人間たちに復讐ともいうべき攻撃をし始めるのである。ほんと食べ物の怨みって恐ろしいよね。

さて、しつこく母ガッパがくわえたタコについてまだ話す。体長60mはあろうかという母ガッパがくわえたタコ、添付した画像を見てもわかるように、このタコこそ大巨蛸といえるほどめちゃくちゃでかい計算だ。こんなでかいタコがいることにもびっくりだが、さらに驚くのは、このタコが明らかに茹でダコであること。『怪獣解剖図鑑』にもこのことは書いていなかったが、どうやらガッパはタコを茹でて食すらしい。それにしても、シンプルながらもいちおう一手間かけるというか調理をするとはね、世の中にはまったく珍しい怪獣もいたものである。


タランティーノがB級日本映画を発掘する前に、日本国民全員が『ガッパ』ぐらいは当然、知ってないとね」みうらじゅん


そして2005年のガッパシーンにおいて、「金の蛙賞」受賞よりもはるかに凄かったのが、上の画像を見ればもうおわかりだろう、
あの花輪がガッパを描いた!!!!
ことである。これはもう大事件だ。花輪といえばもちろん花輪和一のことで、嗚呼、ガッパの”目つき”がもう完全に花輪さんしています。素晴らしい!!!!
花輪和一画「大巨獣ガッパ」は『月刊アフタヌーン』2005年11月号のピンナップポスターより。
ちなみに冒頭のガッパ画は、中西立太による「ガッパ上陸作戦」(『怪獣解剖図鑑』1967より)。ガッパ大暴れ。タコを落としたばっかりに…

 置いてけぼりの男〜『実録白川和子 裸の履歴書』 『黒薔薇昇天』

1月14日・シネマヴェーラ渋谷


『実録白川和子 裸の履歴書』、最後の白川和子らの口上だけ観たくて途中入場したら、ちょうど白川和子と織田俊彦がファッキングの真っ最中。白川和子の艶技よりも、そのシーンの森勝のカメラワークにしびれた。だいたいファックシーンなのにファックしてる男女を映すことはそこそこにカメラが彷徨い始める。それは誰の視点だか詳らかではないが、例えば俗に女がその陶酔の最中に「イク、イク」などと言うように、それはまるで幽体離脱した白川和子の魂の視点であるかのように、ファック中の自らの体を離れ、真っ暗な部屋を彷徨いつつ、台所の水にさらした野菜にまで到るカメラ(視線)の動き方が、安直に言えば呪われてるというか、つまり凄い、たまらない。確かこのシーンは自暴自棄になってた白川和子に、織田俊彦が結婚を申し込んでそのままファックになるところだったと思うが、ようは「台所の水にさらされた野菜」は「結婚」のメタファーであり、野菜にまで到って止まる視線はつまり白川和子の心ここにあらずっぷりをよく表している。ファックの最中にもかかわらず(男と自分の体はそこに置いて)、白川和子の魂はすでに「団地妻」になる喜びに、幸福に、思いを馳せていたのだ。しかし、これはまた白川和子にとっては「結婚=男」ではなく「結婚>男」であることを暗示させるシーンでもあって、結局この男、織田俊彦はファックの最中ばかりでなく、常に白川和子に置いてけぼりを喰らわせられる。つまりのちに白川和子はこの男よりも仕事(日活出演)を選ぶのである。このたった一つのカメラワークに、なにか「女」というものを感じてしまうのは果たして僕だけだろうか。
そしてお目当ての白川和子の口上、「このたび縁持ちまして団地妻として新しい人生を旅立つこととなり、皆様方とはこれでお別れです」云々を観る。ロマンポルノはここから始まった記念碑的作品、白川主演の『団地妻 昼下りの情事』に掛けてることはもちろん言うまでもない。しかしまぁ、テレビで観るのとスクリーンで観るのではなんでこうも印象が違うのかしらん、不思議だけれども。もうこの口上のシーンは、スクリーンに映ってるものから、映らない何かまで、全部がカッコいい。奇跡!
余談だが、以前ロマポ監督番付なる遊びをしていたとき、僕は東の横綱田中登、西の横綱長谷部安春(これは皆から総スカンを喰らったが偏愛的番付なので仕方ない)を配置したが、やばい、やっぱ西の横綱は長谷部じゃなくて曾根中生かも…。こないだ観た『真夜中の妖精』(田中)や『不良少女 野良猫の性春』(曾根)も素晴らしかったし。でも先日やはりヴェーラで観た『レイプ25時 暴姦』(長谷部)などはヴィスコンティの『ベニスに死す』に匹敵するような映画の気もして、まあロマポ横綱争いは熾烈です、僕の中では。

『実録白川和子 裸の履歴書』
http://d.hatena.ne.jp/migime/20090111/p1


続けて神代辰巳『黒薔薇昇天』を観る。ビデオでは何度か観たことあったがスクリーンで観るのは初めて。オープニングとか完璧だね。にしても最初観たときはローラースケートファックに爆笑した記憶があり、もしも映画館で観ていたなら笑い屋と指差されること間違いなかったろうが、今回はそこではそんなに来ず、谷ナオミが堤防からキャーと落っこちるところとかに爆笑した。笑いのツボは経年と共に変わるのかしら。『悶絶どんでん返し』といい、神代映画の谷ナオミは他の出演作と全然違ってていいなぁ。こういう谷ナオミが好き。

 ロマポ版・不思議の国のアリス物語〜『女高生偽日記』

migime2009-01-16


1月13日
シネマヴェーラ渋谷にて、「話題性を喚起」するために作られた企画もの、写真家のアラーキーこと荒木経惟が監督した『女高生偽日記』1981を鑑賞。
どうも巷間では「素人の撮った映画だからやっぱりヒドイ」だとか「ただの駄作」だとか酷評の嵐で、それに同意できない僕は地下での乱痴気騒ぎだけでも十分面白いじゃないか!と真剣に思ってしまうのだが、それはともかく僕は中原俊のデビュー作『犯され志願』1982が大嫌いだ。以前、松島利行『日活ロマンポルノ全史』に凄い新人が現れた、評判の良い作品という大意の文章があったので観たが、僕には全く共感できないツラい作品だった。都会で自立する一人暮らし女の生活を描いたものだが、そんなの知らねーよって感じで、有明祥子のブスっぷり(しかしその方がこのストーリーにおいてはリアリティがある)も相俟って、とにかくイライラした記憶がある。
それ以来しばらく中原アレルギーにかかった僕だったが、もしも罹病と同時に『女高生偽日記』1981を観ていたら症状は早々に緩和していたかも知れない。というのは『女高生偽日記』の脚本と監督補が中原俊弘(中原俊の本名)であるからだ。助監督ではなく「監督補」として初の作品であり、映画の素人アラーキーが「話題性を喚起」するために祭り上げられた御輿であるならば、その担ぎ手として陰で暗躍したのが中原俊弘だったろうこと容易に察しがつく(アラーキーは自分の考えを口にしさえすれば、あとは中原俊弘やカメラの森勝に任せておけばよかったに違いない)。例えば、『女高生偽日記』の直前に、適当な言葉が見つからないので安直に幻想/異界系と言ってしまうが、なにげない日常の中にふと現れる、日常との境界線がひどく曖昧な異界をかなり高次なレベルで描き出した傑作『密猟妻 奥のうずき』の助監督をしたことの影響を指摘したならば、それは根拠もない飛躍という誹りを免れぬだろうが、だがしかし、僕などはその手の素養を菅野隆より吸収した可能性がないとは断言できないようにも思うのだ。中原俊弘が監督補し、脚本(熊谷禄朗との共作)を書いた『女高生偽日記』も、実は夢とも現ともわからぬ幻想の世界を描いた異界譚なのだ。もともと冒頭に「『荒木経惟の偽日記』より」とスーパーが出るように、この写真集での時間概念を少なからず踏襲しているのかも知れない。『荒木経惟の偽日記』はカメラのダイヤル式日付機能に着目し、適当にダイヤルを回しランダムな日付で撮った写真を日付順に編纂したもので、そこには写真集が発行された1980年には撮れるはずもない1992年の写真もおさめられているという。一見、経時的なようでいて、その実は過去・現在・未来が行きつ戻りつしながら連なるというこの断片的な時間の捉え方は、まさに『女高生偽日記』の構造そのものなのだ。そう、この映画は夢と現ばかりでなく、過去と現在も断片的に連なるのである。いや、もっと言えばアラーキーの写真集では過去と現在を同時に現すことは出来なかったが、『女高生偽日記』の場合は時間の共時性をも獲得してしまった。わかりやすくいえば寺山修司田園に死す』における少年(高野浩幸)と現在の私(菅貫太郎)の邂逅、別々の時間をもった同一人物を共時的に登場させるあの方法論である。こうして過去と現在は重なってしまう。具体的に『女高生偽日記』でいうと、ヒロインの荒井理花とたびたび登場する幼女が同一人物なのだ。その根拠はロリコンの港雄一が幼女に買ってあげたウサギのぬいぐるみだが、それと同じものが荒井理花の部屋にもあることが最後の最後で種明かしされる。街中でたびたび幼女を見かけるとき、決まって荒井理花の顔にははてなの色が表れる。それは通常の時系列では絶対に見ることのできない過去の自分に出逢ってしまったという不思議の表情である。こうして過去(幼女)と現在(荒井理花)は断片的に連なりながら、なおかつ重なりながら交差し、ついには過去と現在の境目は溶けて消え、時間そのものがわからなくなってしまうという仕組み。例えば石井輝男『異常性愛記録 ハレンチ』などは回想の中で回想をするというような時系列を把握することが難しい構造を持っているけれど、「不思議の国のアリス」を根幹とした『女高生偽日記』はそれに輪をかけて複雑な入れ子構造を持ってるように思われる。『女高生偽日記』は時間に沿った物語ではなくいわば断片的な悪夢であり、また一方で、現実と幻想の、日常と異界の、現在と過去の境界線を限りなくカオス化させ混乱させるたくらみなのだ。というかこれ、現実と幻想の境界の曖昧性において、何故かいまさらながらのルイス・ブニュエルの『昼顔』なのである。カトリーヌ・ドヌーヴは少女期に受けた性的ないたずらがトラウマになり不感症になったが(それを明らかに暗示させる過去とも現在とも判別つかぬ少女と男のシーンが挿入される)、荒井理花は幼女期にパンチラ写真を撮られたことで、何故か女高生になってもエロ本のモデルになってパンツを撮らせた。ドヌーヴとは形が異なるが、これもまた過去に受けたトラウマの複雑な一変種と言えるのではないだろうか。
ここで『女高生偽日記』の内容にも触れておくが、もしもこれを改題するならば、「にっかつロマンポルノ版・アラーキー不思議の国のアリスが端的。タイトルバックで映し出されるウサギに導かれるように幼女がバー(縦穴)に入るカット(その様子を不思議そうに見つめる荒井理花)からしてピンと来るが、いやその前にアバンタイトルアラーキー自身が「今度にっかつで映画撮るんだよね。不思議の国のアリスっていうの」と言っているから間違いようもない。当然、荒井理花と過去の自分である幼女はアリス、すると劇中に何度か挿まれる幼女と港雄一のショット、しきりに幼女のスカートをめくり、パシャパシャとパンツの写真を撮る港はルイス・キャロルカメオ出演のクマさんこと篠原勝之はその風貌から、さしずめハンプティ・ダンプティといったところだろう)か。アリスは女高生になってもエロ本のモデルをやって、パンツを撮らせているところが面白い対応。その女高生アリスはバーの縦穴(階段)を地下へ地下へと降りて行き、そこでやはり「無時間的な」狂乱の饗宴に遭遇するが、最後に裸で縛られて椅子の上に寝かされてしまう。その周りを乱痴気騒ぎしてる連中が取り囲み、アリスを吊し上げるのだが(この連中らはさしずめトランプの兵隊だろう)、ここで目を覚まし、その饗宴は夢だったというオチまでルイス・キャロル不思議の国のアリス』と同じ。そのあとのオナニーと近親相姦がよくわからぬが、もとよりこの映画は考えず感じればそれでいい。
饗宴といえば、ジャズバーでの乱痴気騒ぎが『女高生偽日記』一番の見どころかも知れない。まず中村誠一(サックス)率いる、市川秀夫(ピアノ)、トニー木庭(ドラム)、青島信幸(ベース)のカルテットがいい。中村誠一による映画のメインテーマもなかなかだが、曲名は知らぬが饗宴シーンの一曲目が渋く聴かせる。二曲目は『荒野のダッチワイフ』の頃の凶暴さはすっかり影を潜めているものの、まあ軽快な演奏でトランプらの熱狂を煽る。その軽快なジャズに合わせて狂喜乱舞するカメオ出演者がまた豪華で、荒戸源次郎赤塚不二夫(赤いパンツいっちょ!)、糸井重里篠原勝之南伸坊など。
この饗宴自体、幻想なのだが、このなかで特に出色なのが、「吸いますか?」と自分の口にくわえていた葉巻を荒井理花に差し出す荒戸源次郎のシーン。その葉巻は異常に長く、太く、黒い。それを受け取った荒井理花はエロティックに咥えピストン運動をし始める。その葉巻フェラのときカメラは荒井理花の顔に寄るのだが(カメラ寄れば当然右隣に座っている吉原正皓はフレームアウトする)、次の瞬間カメラを引くといままで隣にいたはずの吉原が突然黒人に変わっているのである!言うまでもなく葉巻は黒人のペニスだ。このようなメタモルフォーゼを目撃するにつけ、すぐさまブニュエルを喚起するのは果たして僕だけだろうか。だいたい劇中での吉原正皓と江崎和代の情交シーン、女に足蹴にされハイヒールで体を踏みつけられるドM然とした吉原「ゆるしてえー」 江崎「ゆるしてあげるわ」 吉原「まだ早いんだよ!(怒)」 江崎「あ、すいません」のやりとりからしてまんま『昼顔』ワンシーンのパロディではないか(もちろんブニュエルの方には「ラーマはマラに塗るものよ」などといったダハハな駄洒落はないが!)。
またロマポの脇役俳優が好きな僕としては、彼らのコミカルな演技を観られればそれだけで十分だというきらいがあって、例えばアラーキーをパロったモジャカメラマンでハイヒールでアナルをグリグリやられる吉原正皓や、ノーパン喫茶で女の股間をガン見する島村謙次など出てくるだけで超笑える。これらおじさんが中村誠一の演奏をバックに超ノリノリになって踊ってる姿を観るのも楽しい。小川亜佐美なんかもこの饗宴のためだけに出てきて、裸で踊り狂っていていい。
そして最後にこれだけは言っておかねばならないが、『女高生偽日記』がなお素晴らしいのはやはり監督であるアラーキーのエロティシズム感覚によるところが大きい。ウサギのように白い肌と小ぶりのおっぱいの荒井理花を全編あれほど猥褻に、いやらしく、魅力的に写し撮ったアラーキーの感覚凄し。別にエロくて劣情をもよおしたという話ではないが、吉沢由起が後背位で突かれてる最中、睨み付けるようなカメラ目線を寄越してくるのは、いままでこのようなファックシーンは観たことないし、写真家ならではの発想なのかなとふと思った。そしてアラーキーの面目躍如と言いたいショットは、幼女がうんこ座りでパンツを見せながら線香花火をしているところ。パンツの上に重なってちろちろと爆ぜる「線香花火の玉」は、つまり埋舌、「幼女のクリトリス」であるという素晴らしいイメージ、エロティシズム。脱帽!
白ウサギの点景もかわいくてとてもいい。



『女高生偽日記』1981/ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
監督荒木経惟,プロデューサー中川好久/結城良煕,監督補中原俊弘,脚本中原俊弘/熊谷禄朗,企画佐々木志郎/成田尚哉,撮影森勝,音楽中村誠一,美術橋本俊雄,編集井上治,スチール宇崎竜童,助監督高橋安信,照明渡辺三雄,録音福島信雅
出演 荒井理花,森村陽子,萩尾なおみ,江崎和代,吉原正皓,浅見小四郎,小池雄介,影山英俊,港雄一,島村謙次,吉沢由起,小川亜佐美,関口陽一,大田一水,星野麻三子,三浦さち子,ボブ・ジャクソン,フラーク・クラック,中村誠一,市川秀夫,トニー木庭,青島信幸,荒戸源次郎,赤塚不二夫,糸井重里,篠原勝之,南伸坊

 あけしておめでとう〜2009年に鑑賞した日活ロマンポルノのメモ、あるいは戯れ言


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東映ピンキーバイオレンス女優の、池玲子をはじめとするホルスタイン乳で、あけしておめでとう。新年早々「ま」抜けな画像を貼ってしまうところが、なにやら今年一年をすでに暗示してそうで嫌だが、migimeらしいっちゃmigimeらしいかもなのでよしとしておく。


家から一歩も出ず、『争闘阿修羅街』(1938/大都映画/八代毅)と『ワイルド・パーティー(1970/FOX/ラス・メイヤー)とテレビつけたらやってた『相棒』スペシャル(和泉聖治)観る。阿修羅街はタイトルからハードボイルドかと思ったらコメディだった。澤登翠活弁、張り合う男女がくっつくのはわかっているが、その前にこれでもかと主人公がヒロインの顔を噴水に何度もつっこむギャグを重ねてくるところが凄い。ラスメイヤーのは悶絶どんでん返しですか。キャリー・ネーションズ!昨日を過去だと思わなかったために明日のことが見えなかった。ジル・ドゥルーズ『シネマ2』を読み始めたはいいが何言ってるかさっぱりわからないので三歩すすんで二歩さがる、遅々として進まず。


1/2
シネマヴェーラ渋谷では「官能の帝国ロマンポルノ再入門2」なる特集をやっている。いま劇場のHPを見ながら過去のチラシ群を思い出しているのだが、今回のロマポチラシには過去のデザインになかった「洗練」を感じる。だから「猥雑」ではないかと言えば決してそんなこともなく、最低限に抑えられた配色や分身する風祭ゆき等の配置は”静謐なサイケデリック”とでも言いたくなるものを喚起させ、同時に武智鉄二が描くけばけばしい悪夢のようなイメージもあり、もっと言えば祭られたその女神の象徴性、まるで宇宙そのものの秘密を暴いた密教画のようでもある。余談だが『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』の風祭ゆきの神々しさといったら…、例えば府中の暗闇祭の謂われを想起してみよう、年明け僕たちには片輪になる陶酔が待っている。

いい機会なのでヴェーラの特集上映と並行しながら積ん読状態だったジェネオンのロマポDVDを観る週間にする。


シネマヴェーラで斉藤信幸『スケバンマフィア 恥辱』1980を観る。昔ビデオ観たことあるがほとんど忘れてた。倉吉朝子大好きなんだが(同監督『黒い下着の女』の主演女優(サイコー))、他のスケバン女優がカスすぎる。川辺のさびれたアパートとか船とか坂とか横浜(?)はロケーションがいいですね。冒頭の着替えを遠目から撮るショットとか。ふととした瞬間に突拍子もないアクションを起こす登場人物とか。倉吉朝子ってロマポでは一番の胸キュン女優じゃないの(*1)。秘めた恋心がいいよーいいよー。スケバンマフィアシリーズ(?)の『スケバンマフィア 肉刑<リンチ>』池田敏春)にも主演してるが、こちらも当然胸キュンで、そしてバイオレンス度(ビーバップ度)が出色なのでヴェーラで会う人すべてにおすすめしたい。「偏愛的日活PVベスト10」では3位に入れたけど、最近順位に変動あり、そのうち書き直す。

(*1)胸キュンといえば、そうだ!桃尻娘<ピンク・ヒップ・ガール>』の竹田かほり(と遠山牛のキスシーン)もヤバいす。同映画の亜湖はイライラします。シリーズ三作目のアングラ劇団に入ったときのパフォーマンスとか殺意さえ。ちなみにチンピクでいえば、『ピンクのカーテン』の美保純はヤバす。


DVDで田中登『真夜中の妖精』1973をいまさらながら観た(すみません…)が、はい来た、ノボルスましてやモリオ出演作にハズレなし!とにかく開巻の山科ゆり目線のカメラワーク(♪歌を忘れたカナリヤは〜と歌いながら路地をさまよう)からヤバイす。路地を抜けると廃線跡地で拍手とともに椅子などに座ったオカマたち(影山英俊、浜口竜哉、小見山玉樹、他2名)のお出迎え、これ寺山修司です。カナリヤちゃんの歌ってジンジン来ちゃう。
この映画が『牝猫たちの夜』1972と『マル秘色情めす市場』1974のあいだに作られたことは物凄く興味深い。これ新宿と山科ゆりでやった、こののち色情めす市場まで発展する、そのイメージの原型じゃないの。氷の上に乗った山科ゆりを影山が街中引いて行くタイトルバックもいいなぁ。モリオの超理不尽な逆怨みっぷりは毎度のことで素晴らしすぎるのだが、ぼかぁ、山科ゆりに向けられるモリオのあんなにやさしい眼差しを初めて見ただよ。やべーよ、カナリヤの歌を最後まで歌えるどうのこうのとかじゃなくて、この二人の惹かれ合い方って神域レベル。鳥肌立った。モリオが眼鏡を煤で真っ黒くするところとか、直接的な描写はないがなんとなく『昼下りの情事 変身』を想起させたりで面白いなぁ。鋭い目つきの連鎖もありーの。潤ますみがフラッシュバックを起こす白を基調とした短いイメージショットの重ねもありーの。旧古河邸映画でありーの。でもなんと言ってもこの映画は「ベロベロできないよー」の山科ゆりの叫びに尽きる。ベロベロ…


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テレビつけたら「怒痢威夢魔ッ血09」やってたので最初から最後まで見てしまった。松ちゃん×ウッチャンの組み合わせが目玉となったが、個人的にはホリケン×宮迫が一番好きでした。あれでちゃんと漫才になってるのが凄いなぁ。ホリケンおもしれー。どーでもいいが、去年福岡でホリケンのパラグライダーやったらポッケから携帯が飛び出て海の中に落ちたことある。お笑いについていままで一度も日記で書いたことないと思うけど、実はわたくしブラックマヨネーズが好きだったりするので、初っ端の吉田×天野の「葬式」漫才も面白かった。ちなみに昨年のことだが、M1はオードリーだと思っている。


極私的ジェネオンロマポdvd祭り。第二弾、山本晋也赤塚不二夫のギャグポルノ 気分を出してもう一度』(1979/アイランズコーポレーション制作)を観る。はいまた来た、傑作!
離婚届を出した夫婦(柄本明と小川亜佐美)が翌日婚姻届を提出するまでの一日のビラビラ事を描く。離婚後、柄本は電車が自分の方に突っ込んでくる妄想や空中ブランコから落ちて死ぬ自分を見たり、小川は男と出会うごとにその男とセックスする妄想に取り憑かれる。柄本は日野繭子といたすが3分で果て、インポと罵られ、男としての自信をなくし、小川は浮気相手である赤塚不二夫とのセックスを妄想するもせず、結局二人は元の鞘が一番いいことに気づくというわけ(幸せの黄色いハンカチ)。
赤塚不二夫由利徹たこ八郎のギャグ満載のシーンや、日野繭子×結城マミ×宮井えりなのキャットファイト(えりなの蹴り!)などは誇張なしで抱腹絶倒の面白さ。久保新二が象のハナコフェラチオさせる一種の獣姦、柄本の小腸大腸を手術で引っ張り出し、ここを食い切れば治るとやるヤブ医者由利徹やら、それを今晩のおかずにするというナース結城マミのカニバリズム、中出しした自分のスペルマをストローで吸い出し飲んじゃい妊娠するーとほざく赤塚不二夫となにやらブラックな笑いも。ストロー吸い出しなどはまんこの内部からの視点で撮られているが、このユニークなショットは山城新伍が撮った『女猫』より四年早い。
とにかく赤塚不二夫のセフレ日野と結城がいい。赤塚と無理心中をはかる宮井も最高。赤塚を中心に柄本・小川の夫婦再生を軸にした相関図が面白い。タモリベンガル山本晋也も出演。ギャグは面白グループ(赤塚・タモリ高平哲郎滝大作)。歌は所ジョージ。赤塚が漫画を描いてる紙が原悦子の『ポルノ チャンチャカチャン』のポスターの裏だったりするが、嗚呼昔の女性を思い出す極私的センチメンタリズム。


西村昭五郎『実録ジプシー・ローズ』1974を観る。同じ「実録」ものでも『実録白川和子 裸の履歴書』に比べてぜんぜん面白くないのは何故か。ジプシー・ローズ本人ではなく、その発見者、育ての親、マネージャーである正邦乙彦による男視点の、一本調子な、なにやら鼻につく回想による物語だからではないのか。
亀井文夫『女は下着で作られる』1958にジプシー・ローズ(当時22歳)が出演してるというのでフィルムセンターへ観に行くつもりだったのが、フィルム劣化のため上映中止になってしまって初日に行けばよかった…と少し凹んだ。それはともかく写真を見る限り細身の女性で、どちらかといえばジプシー・ローズ役はひろみ麻耶より二條朱実の方がぽい感じがするが、ただこれがデビューの新スターひろみ麻耶のむっちり加減は初々しい。
最初は「額縁ショー」といわれる枠の中で動かずポーズをとるのをやってたみたいだが、その退屈さに業を煮やしたジプシーは額縁を飛び出し踊り始める(生首にキス。サロメがモチーフか)。ストリップも昔は踊りだけで魅せるものらしかったが、これからは特出しよと若いストリッパーに語らせてるように時代はより過激なものを求めたようだ。額縁、踊り、特出しと来れば、次は『実録元祖マナ板ショー』(1975/藤井克彦)を思い起こしもするし、『蕾の眺め(1986/田中登)なんかではストリップ小屋の支配人・草野大悟がこんなことを言っていたっけ。「この十年をとってみても、ストリップ業界は毎日が戦争だったろ、客を集めるためならさ、あらゆることをやったよ、ただの裸から始まって、入れポン、出しポン、タッチ、花電車、ポラロイド、天狗ショー、こけし、マナ板、ついに本番ショーまできた。本番も客をあげてまでやってみたり、外人も世界中から女を連れてきた、放尿もSMもやった、獣姦ショーもやった、ホモもやったし、これ以上やってないものはない」と。であるから妊娠したストリッパー今陽子に、「ストリップ業界のために舞台で出産ショーをやってくれ!助産婦もつけるよ!」と。
閑話休題。とにかく『実録ジプシー・ローズ』ほとんど唯一の見どころはアル中になったローズが見る幻覚で、怪談ムード満点に湯船からゆっくり顔を現し、這い出てローズを犯す盲目のアンマのメイさん!!!!
つーか、メイさんに一年ぶりに会いたいよー(泣)『横須賀男狩り 少女・悦楽』を一緒に観に行こうよー(号泣)どこかにメイさんに捧げる生け贄はおらんかのぉ…


1/4
ジェネDVD『バックが大好き!』を観る。1981年にっかつ制作配給。監督小原宏裕、脚本伴一彦
朝比奈順子…迫る結婚前にチン拓100人分集めるマニア。のちに55時間耐久セックスのギネスに挑戦。
早川由美…中丸に無理矢理剃毛されたせいで男と寝ようとすると蕁麻疹が出る体に。レズに走る。が、朝比奈の治療法、目には目を的な逆レイプ、剃毛&張形にマーガリンを塗り男のアナルを”オカマになれ!”の叫びとともに犯すことにより治癒、というか今度はそのプレイのマニアに。その毒牙にかかった男たちは中丸、錆堂、影山、他。
岸田麻里…処女でレズビアン。早川につれなくされて、街ゆく男たちに”わたしとセックスしてください”と声かけまくる。吉原といたすのかと思いきや吉原は岸田のあそこでオナニーするだけ。男に幻滅。張形をはじめ野菜やマネキンの手など道具を使ったオナニーをするマニアに。
中丸信…早川の会社の上司。剃毛プレイフェチ。仕返しされる。アナルにバイブぶち込まれる。
錆堂連…オカマのママ(オカマメイクがヤバイ)だが実際はオカマは営業用で女にしか興味ない。が、早川に縛られ、アナルにバイブをぶち込まれる。錆堂連はいいよー。好きな男優。
石田和彦…朝比奈がバーで出会う男。なびかないので意地になる&惹かれる朝比奈。セックス修行をした男で射精は自分の思いのまま。100人目のチン拓はこの男と決めるが、射精させたらとらせてやるとの条件付き。55時間に及ぶセックス対決へ。アナルに指を入れられ前立腺マッサージであえなく昇天。ネット検索しても詳らかでないが、石田和彦とは「やかた和彦」の変名であろう。『色情旅行 香港慕情』アウトローが印象深いが、これより8年後の本作では少しおっさんになったなぁという感じ。
吉原正皓…岸田のまんこでオナニーするおじさん。ホモの役が多いんだが今回はアナル無事。
影山英俊…グラサンナンパ男。声かけた相手が悪かった。アナル開通。
朝比奈のことかと思ったら「バックが大好き」というのは男のアナルのことだったのね。55時間セックス後、言葉も交わさず別れた朝比奈と石田だったが、ラスト飛行場でばったり、実は朝比奈の婚約者の兄貴が石田だと知る。これからもよろしく的挨拶にニヤリ。こういう寝っ転がってワハハ観られる作品もやっぱりロマンポルノなのだ。無理して観なくてもいいけど、観た方がいいには決まってる。


ジェネDVD『レイプショット 百恵の唇』を観る。予備知識なしに観たのだが、アクション要素のある娯楽映画で驚いた。藤井克彦はこんなのも撮っていたのか!脚本は『殺人遊戯』の播磨幸治か。僕の知る限り、この映画は初めてソフト化されたやつ。この手の埋もれた映画群を発掘しDVDリリースした人たちはマジ偉人だといまさらながら思った。寝っ転がってた姿勢を正した。
主演は『マル秘ハネムーン暴行列車』の阿部徳昭(good!)。ワキに高橋明、堀田真三、溝口拳、宇南山宏と男臭い!
シャブ疑惑のある歌手水島美奈子とその事務所社長宇南山を相手取り金をゆすろうと思うトップ屋の阿部だが、水島の誘拐事件が起き、水島を助ける阿部だったが、結局…。
水島の体にはどこにも注射の跡がなく、山口美也子に問うてみるも答えず、水島は宇南山に山口とはどういう関係なのかと問うてみるも答えず、そういう謎めいたところがいい。水島のあそこをめくり、「そろそろ打つところを変えなきゃならんな」と言ったとき、まさかあそこの針刺しショットが出てくるのか?!と動悸がしたが(こういうの弱い)、まあないとないでやっぱ寂しい、うわぁ…って目を覆いながら観たかった。実際こんなとこに注射打つものなのかとネットで調べたら、ほんとにあって(打つ前にたらした薬は麻酔薬だったのか)、その文字を読んだでけでもウギャー…ってなった。水島のおしっこを採取するシーンやラストのオチが秀逸。挿入歌は佐藤三樹夫の「甘い罠」。



『スケバンマフィア 恥辱』1980
監督斉藤信幸,製作細越省吾,原作高山銀之助,脚本高橋正康/斉藤信幸,企画成田尚哉,撮影森勝,音楽甲斐八郎,美術柳生一夫,編集井上治,録音信岡実,スチール井本俊康,助監督児玉高志,照明直井勝正
出演 倉吉朝子,水紀ゆき子,山乃興子,阿部徳昭,小川恵,佐藤昇,明日香和泉,佐々木由起恵,高瀬将嗣,堀礼文,田山涼成,草薙良一,吉原正皓,木島一郎,庄司三郎,井上雅義,島村謙次,市村博(五條博)


『真夜中の妖精』1973
監督田中登,脚本桃井章,企画伊地智啓,撮影畠中照夫,美術川崎軍二,編集辻井正則,録音橋本文雄,スチール浅石靖,助監督鴨田好史,照明土田守保
出演 山科ゆり,風間杜夫,益富信孝,大山節子,潤ますみ,雪丘恵介,堺美紀子,織田俊彦,八代康二,三川裕之,浜口竜哉,小見山玉樹,萩原実次郎,影山英俊


赤塚不二夫のギャグポルノ 気分を出してもう一度』1979/アイランズコーポレーション
監督山本晋也,製作八巻晶彦/高平哲郎,原案赤塚不二夫,脚本高平哲郎/山田勉,企画奥村幸士/成田尚哉,撮影鈴木史郎,音楽坂崎孝之助,主題曲所ジョージ,編集田中治,照明出雲静二,助監督滝田洋二郎,ギャグ面白グループ
出演 柄本明,小川亜佐美,赤塚不二夫,宮井えりな,結城マミ,日野繭子,ベンガル,由比ひろ子,たこ八郎,堺勝朗,坂本明,由利徹,はな太郎,久保新二,タモリ,与那城ライラ,山本晋也


『実録ジプシー・ローズ』1974
監督西村昭五郎,製作樋口弘美,原案正邦乙彦,脚本大原清秀,企画栗林茂,撮影山崎善弘,音楽奥沢散策,美術菊川芳江,編集井上親弥,録音秋山一三
出演 ひろみ麻耶,坂本長利,二條朱実,五條博,森甲律子,真木ひろみ,中平哲仟,島村謙次,織田俊彦,吉野あい,近江大介,高橋明,芝さなえ,加納愛子,朝焼ユキ子,小森道子,加納愛子,北上忠行,庄司三郎,佐藤了一,谷文太,小見山玉樹,宝由加里,宝ひさえ,宝町子,宝美津江,宝千波,東弘美,東秋子,東真澄,東マミ,東美鈴
声の出演 長部日出雄,田中小実昌,武智鉄二,吉行淳之介


『バックが大好き!』1981
プロデューサー林功,企画進藤貴美男,監督小原宏裕,助監督鈴木潤一,脚本伴一彦,撮影水野尾信正,音楽甲斐八郎,美術川船夏夫,照明矢部一男,編集川島章正
出演 朝比奈順子,早川由美,岸田麻里,中丸信,錆堂連,石田和彦,吉原正皓,影山英俊,伊藤哲哉,荻原徹也


『レイプショット 百恵の唇』1979
製作細越省吾,企画進藤貴美男,監督藤井克彦,助監督斎藤信幸,脚本播磨幸治,原作響京介,撮影水野尾信正,音楽高田信,美術林隆,照明矢部一男,編集山田真司,技闘大平忠行
出演 水島美奈子,飛鳥裕子,山口美也子,宇南山宏,堀田真三,阿部徳昭,高橋明,島和廣,田辺治郎,久米歓児,織田俊彦,麿のぼる,松風敏勝,溝口拳,小見山玉樹,佐藤了一,北川レミ,楠本達彦

 『実録白川和子 裸の履歴書』

migime2009-01-11


1973年の日活ロマポで、監督は曽根中生、脚本は田中陽造阿部定は自分のチン切り事件を芝居にし自ら出演していたというが、それに想を得たのかどうかは知らないし、まあそれはともかくとして、大学生の白川和子が演劇仲間から輪姦され、その一部始終を撮ったブルーフィルムを観たプロダクションの社長(殿山泰司)が白川をピンク女優にスカウト、後にピンクの女王となり、日活ロマポに出演し、そして引退するまでの半生を綴った伝記(?)で、白川和子が自ら白川和子を演じた、白川和子の、白川和子による、白川和子のための引退記念映画。というわりには、開巻の輪姦シーンから粉塗れにされたり、監禁されるシークエンスでは鼻の穴に詰め物をされた顔を下からドアップで撮られたり、恋人の織田俊彦に別れを切り出したときは横っ面をビンタされて、しかもそれを監督は軽く流さないから、ぴったりブスい顔でストップさせられ強調されたり、ヒロインなのに、引退作なのに、なんちゅー扱いなんだと腹を抱えて苦笑いしましたが、『悶絶!どんでん返し』での谷ナオミと同じ意味で、この『裸の履歴書』は白川和子にとって出色の作品なのではなかろうか、この白川和子の愛嬌、なるほどこれは皆から愛されたわけだ。と書くとこれはコメディ映画なのかと思われそうだけど、確かに曽根演出は面白可笑しいのだけど、でもそれだけじゃあない、白川和子のシリアスな味も素晴らしいよ、まあそれは割愛するけれど。

曽根中生が撮った自伝ものと言えば、現役不良少女・高田奈美江の同名本に想を得た『BLOW THE NIGHT!夜をぶっとばせ』というのがあるけれど、これも高田奈美江は高田奈美江として出演している。後半の方はともかくとして、この映画、不良たちの日常などをあくまで淡々に、俯瞰的客観的に撮り続けていた印象があって、一種のドキュメンタリーのような錯覚に陥ったのだけど、同じく本人出演の自伝もの『裸の履歴書』はそれとは趣きを異にするようだ。こちらは「実録」と言ってもやっぱり虚構の世界と納得できてしまうのである。いや別にそれをどうのこうの言うつもりはなくて、そんなことは問題でもないのだけど、ようは白川和子の現実の体験に尾鰭をつけ、また一方で白川和子の現実体験をでっちあげる、改竄する、田中陽造の筆が物凄いんである。ところどころ”嗚呼!これぞ田中陽造!”的シークエンスや台詞回し、またこの人のもはや登録商標のような「地獄」も出てきて、またそれが盟友曽根中生のユニークな演出と相俟って、僕を狂喜させてやまないんである、ようするに。

この映画の中で特に好きなシークエンスが二つあって、奉仕活動に殉じている和子は、自分の裸の写真を愛撫する老人に本物のおっぱいを吸わせてあげるのだけど、「おっぱいだ!おっぱいだ!夢に見たおっぱいだ!」と狂喜した老人は後日首を吊って死んでしまう。それを聞いた和子が老人の遺骨を持って東京タワーをのぼるところがまず素晴らしい。どんどん上昇するエレベーターから眺めた窓外の景色をカメラは捉えていて、そこに和子の声がかぶさる、「広いねー、汚いねー、果てしがないねー。でもおじいさんの墓場にはここが似合うわ」って、東京タワーを墓石に見立てるなんて!展望室にあがった和子はおじいさんの骨をさらさらと蒔きながら、「ごめんね。できないまま死んじゃったのね。だからおじいさんの身代わりを抱くわ。それで許して。最初にこの中に写った男がおじいさんなのよ」と言って望遠鏡を覗きこむのだけど、もうこれ凄い、大好き、十二階の望遠鏡を覗いた『押絵と旅する男』のイメージがかぶさるのもいい。展望室で和子はおじいさんのお骨を舐めて「にがーい」とやるのだが、次のシーンは望遠鏡に最初に写ったチンドン屋のピエロ(水木京一)とチョメチョメ、ピエロの精子を舐めて「にがーい。死んだ人の味がする」って、もう田中陽造の世界でしょ、この一連のシークエンス。

二つ目は、和子がヒモの男(影山英俊)に目、鼻、耳を塞がれ、そのうえ簀巻きにされて監禁されるシークエンス。「まるでいもむしだ。しかし、きれいないもむしだなぁ」(嗚呼ここでも乱歩やボッスを想起させるなぁ)なんて簀巻きの和子に感心する影山も、「地獄だわぁ」なんて呟いちゃう押し入れに閉じこめられた和子も凄いんだが、「悶えろ!目も耳も鼻も死んだその分、肉の快感が増幅されるんだ!」と叫んで身動きのとれない和子に劣情を抱く影山、和子の上にかぶさる、それを檻なめの横移動で足元から上半身へと追って撮ってるのを面白く観たんだが(中間に柱を置いてるのも心憎い)、その後出てきた殿山泰司の鉄格子ギャグもまったく笑わせてくれる。突然に一転する雰囲気、空気、そのギャップ。

白川和子の引退記念だからなのか、最後に次代を担うロマポ女優らが大勢出演。スケバン仁義を切る片桐夕子、そのワイワイぶりを横目に、離れた所で「こどく」と呟く体育座りの山科ゆり、原英美は寅さんルックで「あたくし生まれも育ちも葛飾柴又」なんてやっている。宮下順子はカウボーイルック、ピストルが暴発してズボンが下がる。小川節子は田舎のイモ娘、二条朱実は股旅ルックで「ほんとにひどいことさせるよね」と恨めしげの苦笑い、田中真理は娼婦?最後の最後はみんなおっぱい丸出し、ずらりと並んでご挨拶、ビバ!おっぱい!ビバ!ぱいおつ!

しかし最後にこういうオチをつけるのって、寺山修司の『邪宗門』とか、ホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』とか、なんか想起しちゃうなぁ。ちなみに監督の曽根中生も白川和子と同様に、”ピンク映画”の監督役で自ら現実のような虚構を演じておりました。いや虚構のような現実かな?

 インポになりとうないんや〜!〜『壇の浦夜枕合戦記』

1/9の日記

食べたもの。カップラーメン×2(味噌味とカレー味)、アイスバー×3、ドーナツ×4、ポテチ、ココアシガレット。我ながらヒドイ食生活。高校生のときに”カップラーメン食べるとインポになるからやめなさい”と母君に言われて以来、いままでほとんど食べて来なかった人生なのだが、お湯を入れて3分という手軽さが物ぐさな僕にウケ、最近の主食がカップラーメンになりつつある、こんにちは、私がインポ予備軍の通り名ふにゃちんのmigimeです。



神代辰巳『壇の浦夜枕合戦記』1977を鑑賞。壇ノ浦の合戦で敗れた平家の女たちが源氏の男たちに囚われて屈していく珍しい王朝ロマポだが、構成は同監督『四畳半襖の裏張り』と同様で、建礼門院(渡辺とく子)と源義経風間杜夫)の密室劇を軸にして、建礼門院の心の声や、周りの者たちのエピソードが挿入される感じ。日記タイトルは別に先日シネマヴェーラで観た『夫婦秘戯くらべ』の中丸信の心の叫びではなく、『青春トルコ日記 処女すべり』での前野霜一郎の有名なスーパー。それはともかくブログ「映画をめぐる怠惰な日常」によると、『青春トルコ日記』1973は当初は全編歌で紡いでいく企画だったらしいが(結局は山川レイカの転落を歌で説明していくのは冒頭だけにとどまった)、『壇の浦夜枕合戦記』では登場人物の心情がときに猥歌で歌われる。例えば、この映画の主題歌「戦に咲く華」(作詞神代辰巳・作曲沖至・編曲中谷襄水・唄花柳幻舟からしてそうで、”♪心のどこかでもう一度 死にたかったの私は 哀れ波間に〜”云々というぐあいに源氏の囚われの身となった建礼門院のショットのときに流れ、彼女の胸の内が表現される。他にも、義経建礼門院に迫るときには”♪わたし十九やりたい盛りよ 胸をもまれたら我慢できぬよぉ〜”だとか、義経と通じてしまった朝、義経と微笑ましく見つめ合ってるショットでは、ニワトリの鳴き声がするなかで”♪三度続けてやられたことは 今日のあなたが初めてよ(コーラス)あーめでたい、めでたい”とか。建礼門院のときだけでなく義経本人つまり風間杜夫が歌う猥歌がバックに流れるシーンもあって、”♪自慢こういうなら聞いてくれ 三寸道具の雁太でおまけにいささか先曲がり おなごの魂ふきとばす〜”、源氏の武士たちが平家の女を物にしようとするときは”♪後家という字はよ、後ろの家と書くんだよ 前の空き屋は誰に貸すのかよ”、他、”♪尊いお方とするときは羽織袴でせにゃならぬ”といったぐあいに全編猥歌に溢れている。と、まあそれは神代ロマポの約束事みたいなものであるが。約束事といえば、風間杜夫が鴨居に手をかけながらぐっと潜る感じの歩行を繰り返すところに神代的な反復運動を感じる。
最近某所で「男尊女卑」というキーワードを聞くにつけ、ロマポを観ながらそれについてつらつら考えている。それについてはまた語る機会もあろうが、『壇の浦夜枕合戦記』での最もわかりやすい男尊女卑(弱者虐め)俳優は高橋明にとどめをさすのではないか。メイ氏が宮下順子を虐げるシーンは神代ロマポには珍しいような陰惨さが漂っていて特筆に価する。例えば、遊び女にしては白いと言って顔に炭を塗りたくる、水が欲しいのかと言って小便を飲ます、隣に寝転がってる女のザーメン付きおまんこを無理矢理舐めさせる、足やペニスを犬のようにしゃぶらせる、”鶏と交わるのが好きなのじゃ、首を絞めながらな!鶏は鳴くものぞ、鳴け!鳴け!”と後ろから犯すなど。蛇足だが、後ろからペニスを挿入されたときの宮下順子の尋常でない絶叫からもこれはアナルセックス(アナルバージン)であると推測される。例えば「鶏姦」といえば男色を指す言葉であり、肛門性交のことであるし。俗に首を絞めながらするとあそこも絞まると言うがアナルも同様のものだろうか。
またへりくだった男尊女卑というものも垣間見られ、源義経演じる風間杜夫などはその最たる例だろうが(モリオがへりくだりながら図々しいことばかり言うのがこの映画抜群の面白さではあるが)、子供の頃より尊いお方に恋焦がれているとのたまう源氏の下級武士(橋本真也)がしの井(牧れいか)に迫るシーンなどもそうだ。ただここでは体を許すと見せかけておいてキスするときに男の舌を噛みきる女気(おんなぎ)をフェイバリットな牧れいか(*1)が見せていて、それだけで素晴らしい。こう見ると案外フェミニスト(?)だったのは丹古母鬼馬二だけだったかも知れない。
あと特に素晴らしかったのは白拍子の田島はるか、振付は花柳幻舟。中島葵、山科ゆり(チョイ役…)といった主演級よりも牧や田島の方が魅せた。
結局、たとえ神の生まれ変わりだとしてもやるもんはやるでしょって不敬な映画だった気がする。「女の操は紙よりも薄い。これこそ地獄というものでしょうな」。



(*1)牧れいか、あるいは顔と名前が一致しない佐原京子
『新実録おんな鑑別所 恋獄』を観たが、女優陣のクレジット、序列順に梢ひとみ 山科ゆり 丘奈保美 南ゆき 佐原京子 南黎 宮崎あすか しば早苗 橘田良江 結城マミ 榊原あい 森京子 小川奈津子と、後ろの三人はわからなくても仕方ないかなと諦めもつくが、しば早苗が出演してるらしい他のロマポを何本か観たことあるくせにまったく顔と名前が一致しないのは如何なものか…。ピンク映画も観てないし全然わからない。
あと橘雪子が出ていて、でもクレジットには名前がない、どういうこっちゃとキネマ旬報社から出てる『日本映画人名事典』にあたってみたら、ちゃんと書いてあった、南黎が橘雪子なんだと、勉強不足で恥ずかしや。
しかし最大の謎は牧れいか、梢ひとみの敵役が僕にはどうしても牧れいかにしか見えないのだけど、消去法で行くとクレジットでは佐原京子ということになる。しかし、この佐原京子なる人物、ネットや前述のキネマ旬報社の事典、また『日本映画人 改名・別称事典』(国書刊行会)にあたってみても全くの謎なのである。
牧れいかは1974年にピンク映画でデビューし、1976年4月公開の『全開特出し姉妹』より日活のロマンポルノに移ったと一般にされているが、『恋獄』は1976年1月の公開で、ロマポ転向を機に改名したが(役名を芸名にデビューは早乙女愛方式だ)結局すぐ元の名前に戻してしまったということだろうか、ならば牧れいかの実質ロマポデビューは『恋獄』ということになる。
牧れいかは、牧れい、牧れいか、牧れい子と非常に紛らわしい”牧れい三段活用娘”の中の一人で、『悶絶!どんでん返し』のお尻でぴゅーぴゅーを吹く特訓を粟津ゴーとする女子高生売春婦とか、『女囚101 性感地獄』では策謀に長け、特に最後に見せ場たっぷりの美味しい女囚役とか、ロマポで主役は張れなかったけれど中堅よりちょっと下の実力派という感じで僕は好きな女優の一人なのだ。『恋獄』の梢ひとみの恋敵(?)は実力が要求される重要な役で(刺青もイカすじゃないか)、佐原京子が僕の見当違いで牧れいかとは全くの別人物だったならば、僕はこの佐原京子という新人(?)を讃えます。

余談。なんだか1976年の山科ゆりってキチガイ白痴女優のレッテルでも貼られていたかのような『新実録おんな鑑別所 恋獄』『暴行切り裂きジャック』『女囚101 性感地獄』の連発、どれもこれも彼女の狂演だけで十分観るに足る、ナユリスト必見。



『壇の浦夜枕合戦記』1977
監督神代辰巳,製作三浦朗,原作頼山陽,脚本神代辰巳/鴨田好史/伊藤秀裕,撮影姫田真佐久,照明直井勝正,音楽トランペット沖至/作曲・演奏・琵琶中谷襄水,美術柳生一夫,編集鈴木晄,録音古山恒夫,スチール浅石靖,助監督鴨田好史,振付花柳幻舟,主題歌「戦に咲く華」 作詞神代辰巳・作曲沖至・編曲中谷襄水・唄花柳幻舟
出演 渡辺とく子,風間杜夫,中島葵,花柳幻舟,山科ゆり,小松方正,宮下順子,高橋明,丹古母鬼馬二,村国守平,団厳,三谷昇,牧れいか,田島はるか,あきじゅん,森みどり,十時じゅん,中平哲仟,小見山玉樹,庄司三郎,橋本真也,石塚千樹,村尾幸三,工藤麻屋,梨沙ゆり,言問季里子,飯田紅子