一角座トークライブメモ〜荒野のダッチワイフいまさらながら篇

7/21の一角座のトークショーは正直ヒジョーに悔しい思いをした。まあ僕はこの日に行った同志のZさんに具体的なトーク内容をいくつか教えてもらったのだけど、ほとんど未知の映画である大和屋竺1958年のデビュー作『一・〇五二』、確かにこの20分の白黒映画がどんな内容、映像、表現であったのかは、監督である大和屋竺自身の解説(『キネマ旬報』1980年2月上旬号)や、早大シナ研の大和屋さんが見せに来てくれたので観たという日大映研の足立正生の言葉(『映画芸術』1993年夏号)から、その概要をわずかばかりうかがい知ることができるが、詳細な部分に関しては『一・〇五二』の制作者の一人であったトークゲスト河内紀の言動、又聞きでも”うおッ!”となった内容に譲らなければならず、そういう意味で7/21のトークがいまのところ一番貴重なものだった気がしてならない(他の日のぐだぐだトークが悪いとは一言も言っていない)、これは決して隣の芝生の話しではなくて、マジだ。
前置きが長くなったが、何が飛び出るかわからぬ今回の一角座のトークライブ(荒戸源次郎田中陽造トークに出させたいみたいだし、一度は断られたらしいけど、まだ実現の可能性もあるかも?)、後悔を二度繰り返してはならぬ!と、7/28は『荒野のダッチワイフ』のトークに行ったというわけ。

一角座で観る『荒野のダッチワイフ』は凄かった。35ミリのシネスコで、スタンダードにトリミングされていて重要なところが切れているDVDとは全くの別物と考えた方がいい。画から受ける印象がまるで違う。DVD等の版ではカットされている、開巻の炎に包まれる「国映」マークや、次のドーンと出る「大和屋プロダクション」(!)の文字に感涙(『荒野のダッチワイフ』は大和屋プロただ一本の映画)。シネスコの画面いっぱいに出るタイトルもよい、あれではDVD等のトリミング版では切れてしまう、だから差し替えられていたのか。また最後にもDVD等版ではカットされている部分があって、映画館で時間確認のため携帯を開くわけにもいかないのであくまで感覚的にだが、それは時間にして3分ぐらいの山下洋輔クァルテットによる狂暴な音楽、スクリーンには何も映らないので場内は真っ暗、そんな中、津崎公平の「でもね…」のあとに、大音量でしばらくのあいだ山下洋輔の音楽を叩き付けられるのだから、これは物凄くいい、例えDVDにこの部分が収録されていたとしても劇場でなければこの高揚感と興奮は得られないだろうので、カットされてても特に問題はないのか。
余談だが、『荒野のダッチワイフ』について、平岡正明相倉久人が、あれはビアズの『アウルクリーク橋』だろうか、『ドグラ・マグラ』だろうかと議論しているとき、大和屋自身は「風太郎忍法なんですがね」とケロっと言ってのけたというエピソードは可笑しい。

トークは、ホストに荒戸源次郎、ゲストに菊池成孔、飛び入りに秋山道男菊池成孔は前日に山下洋輔に電話をかけて、『荒野のダッチワイフ』の音楽について聞き、それを開陳していたが、実際それは『映画芸術』1993年夏号など読めば、山下洋輔自身が書いてることだった。

大事なハジキに油を注さないで行っちゃいやだよ。弾丸が出なくなったら、私やどうすれば良いのさ。毎晩男をくわえこまなきゃなんないよ。だからあんた。手入れを忘れちゃ駄目だよ。

シーンナンバー36、娼婦の美那の台詞だが、前述誌の山下洋輔曰く、この台詞(歌詞)に曲をつけろと大和屋監督に命令されたという。この大和屋竺歌詞、山下洋輔作曲の鼻歌を歌ったのが山下洋輔の奥さんで、これは山下家での自宅録音であった。そして、この鼻歌を元にあらためて作り直したのが「ミナのセカンド・テーマ」ということだ。
他、トークでは『荒野のダッチワイフ』の音楽は、ラッシュも観ずに山下洋輔らが演奏したものを、音楽監修の相倉久人がそれぞれの画面にあてはめたと言っていたが、まあこれも前述誌に書いてある。もっと言えば、山下洋輔はラッシュどころか、『荒野のダッチワイフ』の台本さえも何も見ずに演奏したという。

この日のトーク秋山道男がもっとも僕の琴線に触れることを言っていた。それは二つ、まず、例えば大和屋竺『悪魔に委ねよ』にも「秋山ミチヲくんのギター演奏で「殺しの烙印の歌」を歌う」という記述があったりするので、”「殺しのブルース」歌ってくださいって言ったら、ほんとに歌ってくれるんですよ”という秋山道男の話しにはそれほど驚かなかったけれど、”大和屋さんは「黒の舟唄」なんかも歌ってくれた”という話しは、まったく知らなかったし、これは嬉しい吃驚で心の中で快哉を叫んだ。

男と女の間には 深くて暗い川がある
誰も渡れぬ川なれど エンヤコラ今夜も舟を出す
ローエンドロー ローエンドロー
振り返るな ロー ロー

言うまでもなく野坂昭如である。いい歌である。ちなみに『喜劇 特出しヒモ天国』の芹明香の歌う「黒の舟唄」はサイコー!!!!*1なのだが、嗚呼、大和屋竺もこれを歌っていたとは…。これは想像するだに物凄いぞ。奇跡的に音源など発掘されれば(などとあるわけない妄想をするが)、『大和屋竺哀歌集』のCDでも発売する際、「殺しのブルース」「酔っぱらいのブルース」「あたごん山(仮)」「光れ光れ腰のだんびら(仮)」「星のテーマ(仮)」「ミナのファースト・テーマ?(鼻歌:山下洋輔の奥さん)」と共に、大和屋バージョン「黒の舟唄」も収録してもらいたいと思うのは、まあファンとして当然の人情であろう。

秋山道男による二つ目の、荒戸源次郎も”それは初めて聞いた”と言った琴線話は、大和屋竺の喧嘩作法。なんでも大和屋は子供の頃、喧嘩のときは指のあいだに薔薇の棘(!)をはさんで拳を作ったというのだ。もう子供のときから大和屋的ダンディズムを体現しているかのようなこの感動的なエピソード、秋山道男曰く、”怪奇少年(笑)”。少年が作る薔薇の棘の小さい拳など素晴らしい悪魔のがわのイメージではないか。ちなみに『キネマ旬報』1980年2月上旬号の大和屋のインタビュー記事に、子供のときは「喧嘩も強く、二、三回やっただけだったが、すべて勝った」という記述があるのだけど、秋山道男のこの話し聞いて思ったのは、まあそりゃそうだろ、と(笑)

*1:「黒の舟唄」は他、『濡れた週末』で宮下順子なども歌っている。これらに関してはまた後日。